ときどき出てくる、
毒親育ちシリーズ。

コメントお返事お休みしますショボーン







今日はリブログをして書きます。



ナリくんのこれ系の記事、

ほんと救われる星







私もここに出てくる人と
わりと似てる



母の当時の嫁姑問題と父への愚痴の
はけ口役になってた

一生懸命、なってた

お母さんを救いたくて救いたくて
笑ってもらいたくて



でもギリギリまでがんばって
フルフルしてるときに

母からブワんと否定されて

あんたなんかに
相談しなきゃよかった!!

ってタオルでぶたれたときに

ぷっつーんと私の中で
なにかが弾けて

心身症みたいなうつ病みたいなんなって



そこから怒りや
分かってもらいたい旨を

伝えて伝えて、
泣きながらでもわめきながらでも
言ってみて言ってみて
をチャレンジし続けて

(冷静に言おうが手紙を書こうが
ラインをしようが大泣きして伝えようが
叫ぼうが、たくさんの熱量を使ったのに
なんも通じなかったんだけど)



最近あきらめた。



この人は変わらない、を受け入れて



見放して、離れる覚悟を決めた



なんの未練もない。



許せない気持ちはいまでも
ふと出てきたりするけど



変わらないって分かってるし

もう、分かってもらうための

やりとりのチャレンジは、しない。



もう関わらないし
(子どもを祖父母に会わせることについては
別で考えるけど)

話し合わないと決めてからは

「あの人はあの人の世界で
勝手に楽しく生きていけば
いいんじゃないすか?」

「あの人を認めて仲良くしてくれる人と
やっていったらいい
(どれだけいるのか知らんけど)」

って
母親を人間として劣ってるとは思わず
1人の価値ある人間として
(誰かにとっては。知らんけど)

認めてられている気がします



許せないけど、嫌いだけど、
もう基本会わないけど

育ててくれたことには
とても感謝してる。



体の虐待はしなかったし
愛はくれたと思える



子どもの母親への思いとして

「自分は母から愛されなかった」があると

人生、乗り越えるハードルは
なかなかの設定。



でも私は
母から「愛されてない」とは
思ってない

「母は少しも私の気持ちを分かってくれず
私の求める形での愛はくれなかった
このやろう」

ぐらいは思っているけれど。

(だから毒親育ちシリーズとしているけれど
本当の?真の?毒親じゃないのかもね。
私にとっては毒親なのでそう書いてるけど)



だから自己肯定感もあるよ



それは感謝。





ここまできたのは

そう思えたのは

私の母親は愚かだったんだ」

という考え方ができたことが
とても大きい。



悪気があったわけでも

分かっていてもわざとそうしたわけでも
ないんだ

バカだったんだ!!



悪気があったとしたら

賢いのにわざと私の人生のなかで
あぁいうふうに私に接してきたとしたら

もう辛すぎて
やってられない。



だって、だとしたら

よっぽど私が
人間として価値がなさそうだから
そうしたって感じるじゃん



でも違うんだ

頭が悪かったんだ!!

余裕がなかったんだ!!

気持ちを思いやるという
能力を持ってなかったんだ!!

アホだから
できなかったんだ!!



このことが
どんなに私を救ったか。


 
言葉の上辺だけを見る、

お母さんとある程度
仲良いめの人たちの一部からすると

私が母親のことを
愚かと言うということを
批判しそうだけど

それは全然分かってない。



「母親をアホとか頭悪いとか
否定することは
絶対しちゃいけない!!」と

親孝行を善として

なるべく母親を傷つけないようにして

だから自分が傷ついて

・・って人生をやってきた私には



そういう批判は、自分の中で
これまでさんざんやってきてるわけで

やってきたから
逃げ出せずにパンクしちゃったわけで

そんなことをもし言われたら
心のなかにまだ少し残る罪悪感を
後押しするものだから
病んじゃうな、、



なんなら、

性格によっては娘が
ハタチぐらいで愛想つかして
出て行くのが普通ってくらい
キツイ母親に対して

30歳すぎまで我慢して
仲良くする道を模索してしまった私は

自分が悪いといえば悪いけど

ある意味すごく「母親思い」の
優しいやつじゃない?

ある意味。



というわけで

母親は頭悪くて

分かり合えるはずがない

と思えた考え方に救われたのです。



でもそう考えれば
その考え方だけで

誰でも楽になるか?
っていうと


ナリくんも言ってるように

私、母親に
「伝えようとした」プロセスは
一応踏んでるのかなと思っていて
(十分に、なのかは分からないけど)

やっぱりそれは必要だったのかな、
大事なのかなと思います。



あと夫の言葉で救われたっていうのも
リブログ先のコメントの人と一緒。


夫と出会って

生まれて初めて

母親への私の苦悩にして理解者ができた



私の辛さを肯定してくれる人がいた



これがどんなにどんなに救いだったか。



父親が助けてくれる人なら
ここまで辛くなかったんだけど

父親は母親の味方しかしない人だったから

あと母親ともども、
天然ボケというか共感能力なしというか

あんまり人の気持ちを
察したり推し量るのが上手いとは言えなくて

(娘が母親のことが辛くて
縁を切るほどになっていることに気づかず
何もしないほどには。
私が何を言っても「分からない」と
首をかしげるほどには。
私が父親も嫌いになるほどには)

だから私の人生、私の母親への苦悩を
分かってくれる人や肯定してくれる人なんて
いなかったのね



友達には恵まれたけど
恋愛とか仕事とか他の楽しい話もあるなかで

生まれてからの毒親との関係や悩みや
私の言い分を、私が友人に
一から長く語ることはしてこなかったから
(軽くは話しても)



夫が
私が泣きながら長く長く話して
それをぜんぶ聞いてくれて
その上で

「幸子、すごく母親思いだね!」

つらかったね!がんばったんだね!

って心から(に聞こえる)言ってくれたときに

ほんとに救われたんだよね。



分かってもらえることが、あるんだびっくり

って思った。



初めて、唯一、分かってくれる人が現れた。



これまでずっと1人ぼっち
だったのに、やっと。



自分の世界観をつくる
始めの基本の2人である両親からは
(その思いを)否定されてきた(と思ってる)

だから、誰かに分かってもらえる
っていう
考え方があんまりなかった

諦めてた?



なのに、分かってくれる人、

この世にいたんだぁ。。

って。



夫、ありがとね。



そして

さっき書いた考え方に加えて

ナリくんいわく
リブログ先の記事にて

「母親は変わらない」と認めていることが

「許してる」とのこと・・



また救われました!



ありがとうキラキラ