少し前に
ふとしたタイミングでなんとなく
リビングの空のベビーベッドの
息子の目線に近いところに
自分の顔を持ってきて
(開いた柵やベビー布団のあたりに
顔を乗せて)
まわりを見上げてみました。
ベビーベッドの木の柵が
ぐるりと高く自分を囲っていて
下には
肌触りがよくて優しい色の
ふとんがひかれていて
すぐ上には大きくメリーが見えて
かわいいキャラクターたちが
オルゴール音とともに
くるくる回りながら
笑顔でのぞきこんでいる

その横には
カラフルなぬいぐるみやおもちゃが
吊るされて
手を伸ばせばあそべるようになっていて
反対側には
布や木のガラガラなどが入った、
小さなおもちゃ箱

紛れもなく、ベビーらしい、
ベビーのためのかわいい空間が
そこには広がっていました

きっといつか
大人になった息子から見たら
こんな、かわいいメリーなんて
「いかにも赤ちゃん用だな」と
いう感じだろうし
大人までいかなくても
数年後の、レンジャーものなどに
ハマる頃の息子から見てもきっと
こんなのすごく子供っぽく感じて
すこしも興味を持たないんだろうけど
でも
少なくとも今は
メリーが
赤ちゃん用のかわいいぬいぐるみが
ガラガラが
息子にとって
とても興味をひかれるものなわけで
いわゆる、対象年齢というやつで。
そういうことからも
今の息子は、紛れもなく
まだ、人生のなかの赤ちゃん期にいるのは
間違いないわけで。
明らかに、今の息子のために
このかわいい空間が
存在しているんだなぁと
思いました

が、
だけどそのすぐあと
ふと思いついてしまったんですが・・・
息子がこのベビーベビーした空間に
ふさわしいのは
ほんの短い期間だけなのだろうけど
私は。
たぶん、きっと
このメリーの
メロディや回るキャラクター、
吊るされたおもちゃ、
箱に入ったガラガラ、
そしてそれらがあるこの空間に
きっともうすでに完全に
ものすごい愛着と思い入れを
持ってしまってるんじゃないか

思い出を刻んでしまってるんじゃないか
って。
息子にとっては
この空間に心を留めるのは
人生のなかでほんの一瞬だけど
母親の私は
きっと人生を終えるまで
少なくとも、記憶が確かなうちは
いや、むしろボケ始めたとしても
忘れずに繰り返し語ってしまうような
種類の思い出として
赤ちゃんの頃の娘と息子とともにあった、
これらのものたちが
もうすでに
かなりの大切度合いで
入っているのかもしれない
って思いました。
娘と息子のために何度かけたか
分からないくらい聞いた
メリーのオルゴールの音や
まわるキャラクターは
もしいつか私がふいに
目や耳にしたなら
きっと懐かしすぎて涙涙
になりそうだし

娘と息子の赤ちゃんのときの
思い出のこもったおもちゃは
子供が使わなくなって古くなっても
思い出が輝きすぎていて
捨てづらいだろうな・・
ベビーベッドのなかの
小さくてかわいい世界。
今は息子のための空間だけど
もしも
このままこの空間ごと保管できて
いつでも顔を突っ込めば
この小さい世界を体験できるとしたら
数年後から私が人生終えるまでの期間は
確実に、息子でなくて母親の私のための
メリーのメロディ&おもちゃたち
になるじゃないか

ってことを思いついてしまい
儚さというか
切なさというか
自分自身をすこし哀れむような
でも否定的ではなくて
きゅーんとするような気持ちに
なったのです

もちろん私は
子育ても大好きだけど
子育てが落ち着いたら、たぶん
また新しい世界に出会うだろうし
(仕事なり、友人たちとのつきあいなり
趣味なり)
そしたらそのときにはまた
それに夢中になったりしたいと思ってる。
だから
この娘と息子が小さかった期間の
子育て経験だけを
自分の人生のなかの愛しい期間として
握りしめて離さないとか
しがみついていくつもりは、ない。
でも
娘と息子が赤ちゃんだった、
たった数年だけど
毎日あっという間だけど愛しさがつまった
この期間は
きっと
ボケたとしても、何度も語って
うるさがられるかもしれないと
想像するくらいに(笑)、
私のなかで特別な大切な期間として
インプットされているんだろうな
と思うのです。
今、この日々を実際過ごしているときの
体感としては
毎日あっという間だし
忙しかったり疲れたりうんざりしたり(笑)
も全然してるんだけどね。
叱って声を上げても
ため息ついたとしても
それでも。
愛しい子供たちのいる
なんでもなく見えて幸せすぎる
普通の毎日・日常生活が
かわした会話や
遊んだ時間が
ときに感じさせてもらってる
たまらないかわいさや嬉しさや
喜びや感動が
キラッキラの思い出になって
私のなかに残るんだろうなぁ。
子供がとっくに大人になって
親離れして
自立したそれぞれの人生を送っているのに
母親は
昔昔〜の、子供が赤ちゃんだった頃の
思い出を大切ににぎりしめてる
みたいなエピソード、
ドラマや小説とかでも
実際でも
ときおり聞くけれど。
そういうのって
子供にとってはもう
そんな小さいときのことなんて
よく覚えてないし、もう大人だし、なので
そこまで大事じゃないってことは
自然だし
それはよ〜く分かるし
そういう反応の方が子供として
あるべき反応と思うのだけど
(子供が逆に小さいころのママとの時間を
握りしめすぎてるのは、ちょっとね)
だからこそ
一方の母親にとっては
自分だけが分かる特別な想いと思い出を
すごく大事にして
一人にぎりしめているということに
哀れさや切なさや無意味さみたいなものも
感じるんだけど
でも。
母親ってそうだよね・・
そういうものだよね
って分かる自分がいます。
分かるし
そんな母親側をいったん哀れむようで
今の私のなかにあるのは
否定ではなくて
むしろ共感と肯定なのです

今日は深めに、内向的な文章に
なってしまったな〜
でも、ふと湧いたこういう気持ちって
書き留めたくなるんです



今日のブログは
あくまでも私の個人的な、主観的な
感じ方を文章にしたので
「母親って」と書きましたが
私の場合、ってやつです。色んなママがいます

読んでいただき
ありがとうございました
