たとえば、
ちょっと機嫌のよろしくないこどもに
「がんばったね」
「つらかったね」
「くやしかったね」
(他、痛かったね嫌だったねなど)
などと、大人が感情の代弁のように声をかけてあげて
それを聞いたこどもが、我慢していたのがプツンと切れたように
わぁぁ

と泣いたりすること



ありますよね。
よくあるのは
これが感情のラベリングというか
大人が、こどもがまだ上手く言葉にできないモヤモヤした思いを代弁してあげる
ということになっていたり
あるいは、こどもがあえて言葉にせず我慢していたようなところを「わかっているよ」のように伝えることで
「わかってもらえた!」という思いをきっかけに感情を出し切る(つまり、わぁぁと泣く)
ことにつながっていたりして
それらについては、とても望ましいことなのではないかなぁと思うんですね

まぁ、ほっといてほしかった、泣きたくなかったという複雑な子供心がある場合もありますが
この「大人に自分をわかってもらえている」安心感って
けっこうかけがえのないものだったりする。
これを、①パターンとします。
で、この前ふと
このような声かけをしてこどもが泣くパターンに
もう一種類あるのではないかと気付きました。
それを②のパターンとします。
それは
(実際はそんなにたいしたことないのに・本来、そこまで悲観的になる必要はない場面なのに)
大人が決めつけるように
「つらかったね」
「嫌だったね」
(他、ネガティブなこと)
などと伝えることによって
こどもが
「私・・・辛いんだ、悔しいんだ、かわいそうなんだ・・・っっ」
となり
そういう立場(人・役割)になりきって泣いたりするパターン。
こどもが、その大人による、ある意味「こうあるべき像」を敏感にかぎとって
無意識にというか、とっさにというか
その期待に答えた自分を演じる方を選ぶパターンです。
そしてそれを繰り返していくと
大人に言われなくても、こういうときは、こう(私かわいそう)とすりこまれた行動になっていったりする・・。
たとえば
走っていて転んだ子供に対して
親が
「あぁ!!
痛かったねぇ!?
大丈夫!?
あ〜〜かわいそうに
」




と顔をしかめて同情して駆け寄れば
痛くなくても、こどもは泣きます。
私かわいそうなんだ〜!!
転ぶって大変なことなんだ〜!!大人もこんなに慌ててる〜!!うわぁぁん〜!!
泣いたことでまた動揺したり同情する大人によって、さらにヒートアップ

みたいなね。
ちなみに、転んだこどもを毎回親が起こしてあげていると
こどもは一年たっても、転んだときには起こしてもらうまで、泣きながら転んだままの姿勢で待ちます(笑)
ところが
同じ転び方でも
親が、フツーなかんじで
「お。転んじゃったね
」

という反応なら、こどもも
「転んじゃったのか」
となる。
大人が「転んだ・・・泣く?!」なんて、怯えなくていい。
構えなくていい。
本当に痛いときはどんな声かけしようとも泣くので、そしたら近づいて見てやればいいのです。
で、そうでないときなら、大人は
「じゃ、立ち上がってみようか。そう上手
で、手をぱんぱん。ひざをポンポン。そう上手
」


なんて声をかけてほめて
それで終了にしてしまえば
こどもはすぐに転んだことなんて忘れて遊びに戻ります。
そして
繰り返していくと、やがて、大人が声をかけずとも
転んでも一人で立ち上がって、ひざをはたいて遊べる子に育つ

私はわりと、大人が自分に期待するものを敏感に察知してそう振る舞うことが得意なこどもだったので
この、②パターンがよく分かるんですね。
今はどうやら私がかわいそうところ、泣くところ?
なんてのを察知して、そんな自分になれちゃう。
器用ですねぇ。
それができない子もいるけど(いい悪いじゃなくて)
けっこう、こどもって大人の(特に親の)そういう思いや期待に敏感だったり、沿おうとしたりするのでね。
珍しいことじゃないと思うんです。
一概に「こども」といっても
ある程度、自我がしっかりしてくる年齢なら
まだ自分で考えたり選んだりする余地があるかもしれませんが
特に、それこそ感情のラベリングが必要な幼児期に
②パターンが繰り返されるのは
ちょっともったいないなぁと思います。
幼い頃。まだ親の価値観が世界の大部分を占めるころに
親が
「あぁぁウチのスネちゃまを泣かせるなんて、なんてひどいお友達でしょう!」
ってスタンスだったら
「このボクをいじめるやつは、悪者だ」
「ボクは正しい。ボクはママに愛されている。不満があったら泣いて伝えよう」
みたいな生き方が身についていくし
(どうでもいいけどスネ夫くんの一人称ってボクでいいんだっけ?笑笑)
親が
「泣いて帰ってくるなんて情けない!そんなんじゃ、立派な大人になれないぞ」
みたいなスタンスなら
「泣くのはだめなことなんだ」
「やりかえさない自分が悪かったんだ」
「弱い自分じゃ親に嫌われる」
と思いながら成長することになる。
話がちょっとそれたかな?
上のどちらのスタンスがいい悪いじゃなくて、それだけ大人から言われたことの影響を受けやすい時期ということです。
で、そうやって影響を受けやすい分
この時期に大人が態度で教えてあげれば
ちょっとぐらい転んでもへっちゃらな子や
必要以上に不安がらない子や
説明したらたいてい分かってくれる子や
ある程度、育てやすい子に
なる道が開かれてると思うのです



じゃあ、
①パターンと②パターンの違いどこででてくるかと言うと
大人が、こどもの感情の動きを、よく見極められてるかどうか
だと思うのです。
あぁ、悔しくてがまんしてるんだなぁ
言いたいことがありそうなのに言えないでいるなぁ
今、こう感じてるんじゃないかなぁ
と、こどもの様子を注意深く見て、そっと声をかけてやるイメージが①。
大人が頭(思考・思い込み・恐れ・焦り・罪悪感など)で
「こうだから、こうに違いない」
と、先回りをして決めつけて口に出してしまうのが、②かな〜と。
ちょっと落とし穴なのは
普段から
「こどもに共感してあげなきゃ!」
と義務感のように思っているまじめなお父さんお母ささんほど
ときに、ここぞとばかりに先回りして、大げさに②パターンをやってしまう場合があること。
それが、上に書いた「焦り」や「恐怖感」(=共感してあげなきゃ、親がちゃんと共感してあげなきゃ、こどもが上手く育たないかもしれない などと思い込んで怖がっている)ということです

①については、幼児期ほどどんどんしてあげて、感情を出させてあげたいな〜と思うし
②はなるべくしたくないなと思っている私でした
