忘れかけてたんだけど
私の過去の記憶というか
少し前までよく思っていたことを、今日思い出しました。
かなり前から、私は心の中でひそかに「自分の中のテーマ」のようなものとして
「大人とは、○○(できるようになること)」
ということをよく考えていたな〜ってこと。
いつからだろう、思春期ぐらいから?
もう今はいい大人なので、最近はなかなか聞くことはないけど
当時は、まわりの友達やらクラスメートやら?で
ときどき「ずっと子供でいたい」とか「大人になりたくない」ってタイプの人がいたけど
ピーターパンシンドロームとか中2病ってのもその種?違うかしら
私は真逆だった。
早く大人になりたかった。
大人っていうのは、精神年齢が高い、とか、人として成熟しているとか、そんな意味。
なので、私にとってその「大人とは〜」のテーマは
それを一つの指標として、そうなるべく目指していたということです。
○○に入るのは
「ブラックコーヒーが飲めるようになる」
とか
「夜遅くまで飲み会に参加できるようになる」
とかの表面的なことではなくて(笑)
精神的なこと、在り方みたいなこと。
それは私の成長段階に合わせてバージョンアップされてた記憶がある。
こういうのが大人かな?と一つ目標のようにテーマを心に留め置いては
すこしして、それが自然にできるほど進化した自分に気づいて
また「さらに大人」な次の段階は何なのか、経験とか思考とか総動員して、真剣に考えて、答えを求め(その心の中での問いかけや思考自体が、すごく精神的に深くなる作業だったとも思う)
見つけたらそれを心に置いて、そうなるように目指す。
無理してるんじゃなくて、ぜひそうなりたくて、精神的に成熟するのを目指すのが楽しくて、それに向かう。
そんな感じでした。
で、肝心の「実際どんなテーマがあったのか(○○に何か入っていたのか)」をあまりはっきり思い出せないのが残念すぎるんだけど

「どんなときでも感情的にならずに、落ち着いて対応できる」
とか
「自分の芯(志というか)を持って、やたらにぶれない」
とか、そんなことだったように思う・・
そうやって思い描いてそこへ向かうことは
私にとって苦や無理ではなくて
さっきも書いたように、自然で、楽しくて、進化の嬉しさを感じるような喜びでもあった。
まわりからもよく
大人っぽい、大人、精神年齢が高い、落ち着いている、頼れる
みたいなことを言われ
初めてあった人からも(雰囲気的)
内面的にも付き合いの密な友人たちからも(内面)も言われ
嬉しかったし、もっと成熟し続けていきたいなーと思ってた。
今日そのことをふと思い出して
懐かしくなって
最近しばらく、その「大人とは〜」のテーマを心に掲げていないことに気づきました。
今も別に、子供っぽくなりたいとか思ってるわけでもないし
成熟したとして、それを退化させたいとは思ってないんだけどね。
このテーマ、考えなくなったなぁって。
同時に、当時は考えても見なかった、「なんで私は早く大人になりたったのか」ということにも気づきました。
細かく分析して書くとえらい長くなるからしないけど(笑)
たぶん、親(とくに母親)との関係のせいだと思う。
感情的で、決めつけるし、こちらの意見など聞かずに押さえこむし、言葉が通じない(と私は思っていた)、
私にとって理不尽な母親。
お母さんには一番分かってほしかったのに、一番分かってくれなかった(と私は思っていた)。
よく(私の反論に窮すると、だったのかな)
「この家で親のお金で暮らしてる以上、従う義務がある」みたいな言葉が出てきて
それを言われたらもう、どんなことも聞いてもらえないじゃないかと、絶望感。
そんな母親に聞いてもらうには、私を分かってもらうには
大人になることがすごく大事だったんだと思う。
お金を稼いで独り立ちすることもそうだけど
話を聞き入れてもらうには
論破できるほど賢くならねば
頭の回転が早くならねば
私まで感情的になっては話し合えない
感情的に当たるのは、子供を不幸にする、よくない、みっともない
いつでも冷静に対応できる強さをもたねば
そ〜んな思いが
大人になりたい、精神年齢を高くしたいを作り出していたんだと思います

でも今は

そのへんのことからだいぶ解放されてる、よりオトナになってる私がいると思います

こうして、大人になりたかった理由を分析したりできるくらいに。
「どんなときでも感情的にならずに、落ち着いて対応できる」ことをもう、重視しなくてもいいんだよって自分に思えるくらいに。
自分の感情、快・不快に素直に生きたいし
むしろ感情的に、思いのままに生きたい
笑

どうしてだんだん私がそうなれたのかは
いろんな方のおかげ。
ぢんさんのブログとか、本当にいろんな方

でね
一周まわって母親にやっと感情的に長年の恨みつらみをぶつけたら
すっきりしちゃって、楽になって
母親への許せないも、かなり消えかけてきて

いやでもやっぱり
性格が合わないというか、考え方が違うというか
ちょっとした言動に「あぁもう
」ってなることはしょっちゅうだけど(笑)

それを「親への恩があるのだから出しちゃいけない・・・わけじゃないんだ
」って気づいてからは

嫌って言っていいんだってなってからは
出す練習をしながら、つきあってます。
これ、すごく最近のこと。
そしたら、母親の言動や返事も、私が恨みながら思っていたほどひどくなくて
あれ、聞いてくれることもあるんだ?
あれ、押し付けないこともあるんだ?
という驚きの毎日(@つわりで同居生活の今)です!
なんで?
これまでのことは私の勘違いだったのか(壮大なコントってやつか)、私が心身やられてさすがに反省した母の努力のたまものなのか
魔法なのか、当然のことなのか
たぶん全部ね

最後に
この、私にとって懐かしい「大人になるとは」の話を思い出したきっかけとなったのは
メグさんという方のブログの一ページでした。
「自分本来になることが、大人になること」
と書いてあって

それを見て
なんて素敵なんだろう

そうだね、これだ

って思いました

「大人になるとは」のテーマに向かうのはしばらく忘れてたし、今の私にはもう必要ないけど
自分本来になりたい、なろう〜
は、私が今、よく思うことだから、目指したいところだから
久しぶりのテーマ書き換えってことで
心に留めたいな
と思ったのでした

