十二国記新作『白銀の墟 玄の月』読了。
なのですが・・・なんじゃこりゃ!!というのが正直な感想。
なにより妖魔を人が操る術を持っている、という時点で設定を忘れてしまったのだろうかとしか言いようがない。
確かに人には、というより各国の冬官には妖魔を支配下に置く術があるのであろうことは陽子の『水禺刀』をはじめとした宝重の存在が示している。しかしそれはあくまで妖魔に“対抗する”術を持っているというだけで“使役する”術ではなかったはず。
作中に何度も強調されていたように「妖魔を使役できるのは麒麟だけ」のはずがもはや関係なくなっているこの状況は一体何だ?
ロウサンやヤリが黄朱という設定を入れているが、黄朱は妖魔に対処する知識が豊富というだけで妖魔を使役できるわけじゃなかった。なのになぜロウサンは妖魔を使役する術を持っていた?
さらに『黄昏の岸 暁の天』では妖魔が跋扈しているという話だったのに、いざ戴に戻ってみれば出てきた妖魔は阿選が送り込んだ妖魔だけ。戴の人々は困窮こそしていてもその困窮は阿選の政務放擲によるもので妖魔は全く関係ないと来たもんだ。
阿選が起った理由も極めてしょぼい。
ただの嫉妬でロウサンがそれを煽ったからって・・・もうちょっと深い理由があるもんだと思ってたわ。
驍宗を捕まえたときなど時折ありえないほど切れ者になるのに結末はこの体たらく。なんだこいつ。
ロウサンが煽った理由も「王と麒麟の関係を知りたいけど知るには試すしかないから」だとさ。
たったそれだけで王と麒麟、官吏だけでなく多くの民の命を奪い、苦境に立たせた。
なのに「ロウサンは敵じゃない」????????
こいつが諸悪の根源だろうがよ!!!!!!!
許せるわけないし許して良いわけがない。
長々とさほど重要でない描写を続け、この結末って・・・
そりゃ驍宗を探すのが目的なんだからその過程は必要だろうさ。
でも老安や名もなき山峡の里のエピソードは必要か?結局どうなったかも描かれてないし。
そもそも驍宗と合流した時点で驍宗と李斎だけで騎獣を空行させてまっすぐ墨陽山を目指せばよかったのになんで二人を同行させたのか。たとえ誰かに目撃されても騶虞には追いつけないんだから関係ないじゃん。騶虞なら半日もかからなかったろうさ。飛燕がいるにしてもせいぜい一日だろ?だって5日で暁天から蓬山にいけるんだぞ?
待ちに待ってこの結果というのは正直・・・否緖の鳥や青条の蘭はあんなにいい話だったのに。
来年発売という短編集に期待します。