北アルプスの焼岳がニュースになっています。

 

 

先日、富士山の噴火をシミュレートしたテレビ番組もあったようです。

 

思い起こすのは、東日本大震災の直前にも

地震関連のドキュメンタリーやドラマが増えたこと。

 

いまにして思えば、もしかして、政府や政府から指示を受けたテレビ関係者は、

東日本大震災が起きるのを、知ってた?

まさかとは思うけど、あまりにもタイミングが良すぎる。

米軍が近くにいたことも含めてね(トモダチ大作戦とかさ)。

 

ということは、富士山の噴火も近い?

しかもそれは自然現象ではなく、Handmadeされたもの?

なんて、勘ぐってしまう。

 

そういえば、先日ドバイでものすごい雨が降りましたね。

あれは、クラウドシーディングと言って、

雨の元を空気中にばらまいて、人工的に雨を降らせるもの。

その設定を間違えて、大災害になってしまったらしい。

 

その逆もあって、北京オリンピックの時、

北京上空の雨雲をコントロールして、

大会期間中、雨を降らせなかったというのは、割と有名な話。

 

つまり、いまや人類は気象をコントロールすることが出来るようだ。

 

こう考えていくと、いまの日本を始め、世界中の気象も

自然現象ではなく、人工的にコントロールされたものかもしれないという

仮説が成り立ちはしないだろうか。

 

昨年から今年の冬にかけては、暖冬で雪が少なかった。

つまり山に水が蓄えられていない。

2月、極端に暑くなって、3月、4月に不順な天候が続いた。

そして6月。未だ梅雨に入らず、夏至近くの直射日光が燦々と降り注いでいる。

 

梅雨の季節がなく、雨が降らない。

農作物、とくに米には影響が大きい。

雨が降らなければ、当然、夏も水不足になる。

 

僕は陰謀論者でもないし、都市伝説を唱えるほど情報を持っていない。

 

でも、

僕は幼い頃から地図を眺めるのが好きで、

日本地図を眺めては、「日本は龍の国だなぁ」と思っていた。

これは、僕が想い描いていた日本の龍の姿とはちょっと違うけど、

日本が龍の国だと考えている人は、意外と多いことに気付かされた。

 

僕は物語の中に、龍は水を象徴し、水は生命を象徴する。

つかり龍はありとあらゆる生命の象徴だと書いた。

そして、龍の国である日本から、いま、水が奪われようとしている。

 

雨が降らず、降ったと思えば線状降水帯とか、JPCZとかで、

どかん! どかん!と雨や雪が降る。

日本本来の雨や雪の降り方は、しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃんだったはず。

そして時に、台風で大きく気と水を混ぜ合わせて、

肥沃な大地と海を維持してきた。

 

いまの雨の降り方は、龍を育む降り方ではないと思う。

 

ちょっと話はずれてしまうが、

昨今、テレビの劣化が激しい。

字幕は頻繁に間違うし、

アナウンサーが読む原稿も本当にチェックしてるのかと思うくらい、

言葉の使い方がなっていない。助詞の使い方とか、酷いにも程がある。

 

つまりこれ、日本人から日本語を奪っているのではないかとさえ思う。

 

日本人が永く食べてきた麹を血祭りに上げ、

味噌、醤油、日本酒を日本人から奪おうとしている。

 

そして今年、梅が不作だ。

梅干しまで、日本人から奪おうというのだろうか?

それほどまでに、日本人が怖いのだろうか?

 

梅の不作も、暑い夏も、寒くならない冬も

「自然現象だから仕方ないね」と済ますには、ちょっと違う気がしている。

自然現象に見せかて、諦めさせようとしてはいまいか?

 

龍の国、日本には八百万の神々がいる。

日本の神様の特徴は、形を持たないこと。

ありとあらゆる場所やものに宿る。それを依代(よりしろ)という。

 

サという神様が宿る場所(クラ)をサクラという。

岩に宿れば、イワクラになる。

 

自然は神そのもので、古来より私たち日本人は、

神様に力を貸して欲しいと祈ってきた。

時に自分たちが抗うことを許さない自然に対して何かをしてくれと頼むのではなく、力を貸して欲しいと祈ったのだ。

 

作物が豊富に実るようにと祈り、

豊作になれば、感謝を捧げ続けてきた。

そんな日本の自然が、日本人に対して

「自然現象だからしかたないよ」などという仕打ちをするだろうか?

 

日本の自然は、私たち日本人に対してそんなことは決してしないと思う。

日本人ほど、自然と共にあり、

(頭で考えて認識していたかどうかは別として)

自分たちが自然の一部であると捉えていた、民族はいないと思う。

自分たちが自然の一部であると捉えていたからこそ生まれた言葉が

母音語と呼ばれる日本語であり、世界で類を見ない言語になった。

自然をそのまま音に表しているのが日本語なのだ。

 

いま、日本の自然が危ない。

水が危ない、森が危ない。

それは日本の八百万の神々が危機にさらされているのと同じことだ。

 

龍の背にある焼岳が、怒り始めた。

阿蘇も不穏だ。

そして日本の、龍の象徴である富士山もその怒りを隠すのを辞めたかもしれない。

 

幼い子どもが老人の運転する車で殺される。

日本の象徴である富士山を写真に撮るために、

日本人の生活を平気で脅かす外国人観光客。

神社の境内でタバコを吸い、投げ捨てる。

神社をトイレ扱いし、立ちションをする。

なぜ、取り締まらない? なぜ、正当に罰を与えない?

 

永住権を持つ外国人が日本で性犯罪を犯しても永住権が剥奪されない。

こんなことが許されていいのだろうか。

 

外国人観光客がバスを占拠して、地域住民がバスを利用できない。

こんなことが許されていいのだろうか?

 

ここは、龍の国。私たち日本人の国だ!

 

私たちが正当に声を上げなければ、

古より、私たち日本人と共に生きてきた龍が黙ってはいないだろう。

龍は荒れ狂い、大地が火を噴き不純物を焼き払い、

築き上げた文明の総てを水で押し流してしまうだろう。

 

龍は知っている。そして私たちも覚えている。

縄文時代の慈愛に満ちた世界を。愛と助け合いに溢れた文化を。

 

ここは龍の国。

八百万の神々と共に生きてきた、日本人の国だ。