健康のためにと思って、一月程前から始めたウォーキング。

約2キロを歩くのですが、

コースの1/3が下り坂で、1/3が平地。ラスト1/3が登り。

住宅団地の高いところにあるので、

高低差、およそ40メートルのダウン、アップを避けて通れません。

 

歳を取ってから、慣れないことをするものではありません。

案の定、けがをしました (゚_゚;)トホホ

もともと、歩くのが速い私。

下り坂で膝に負担が掛かったようで、いわゆるジャンプ膝という症状が。。。

 

お皿の上下に痛みが出て、

細かい膝の屈伸時に痛みが出るようになってしまいました。

真っ直ぐの時や、完全に膝を折りたたんだときには痛みはないんです。

ちょっとした、階段とか、歩くときに軽く膝を折り曲げるときにしんどい。

 

別の運動を考えねば。

ストレッチで十分だという話もあるんですけどね。

 

 

さて、今日は「光」のお話し。

先日、太陽フレアが話題になりましたね。

緯度の高い地域では、オーロラが見られたとか。

私の居住地では、はっきりとは見えませんでしたが、

なんとなく夕暮れ語の北西の空が、いつまでも明るかったような。

 

先入観でしょうかね。

 

私の小説「オブシディアンの指環」にも、「光」が登場します。

象徴的なのは、時の回廊を照らす乳白色の光。

それと、主人公の夢心にある種のスイッチが入ったときに、

夢心の胸の真ん中で白く光る、光の球と、

それと連動して天羽々斬剣の剣先に宿る光です。

 

余談ですが、

機動戦士ガンダムの劇場版 ガンダムSEED FREEDOMにも

「フツミタマノツルギ」が登場しましたね。

被らなくて良かったぁ~~ (゚Д゚)アブネ~~

 

時の回廊を照らす光は、

お釈迦様が唱える極楽浄土を想像して描いたモノ。

天羽々斬剣の剣先に宿る光は、はじめて夢心が剣を持つ場面を描いているときに、

思いついたもの。つまりは、降りてきたアイディア。

 

夢心の胸の真ん中で白く光る珠ですが、

実は、これ、私の実体験に基づいています。

 

時を遡ること、平成1年の年末。私は沖縄にいました。

沖縄で年越しをしたのです。

那覇のユースホステルに泊まって、半袖短パンで元朝詣りに行きました。

暖かい年越しは、なんだか変な感じでしたね。

 

で、年を越して平成2年。

私は、沖縄本島の東、慶良間島にいました。

体験ダイビングをするためです。

 

ちょうど1年前、大学の卒業旅行で沖縄に来ていたのですが、

そのときは、チャリ持参で、島をチャリで巡っていました。

そこで見た海が素晴らしく美しくて、

今度はあの海に入ってみたい、ということで、

「離島情報」を調べまくって、慶良間島に行き着いたわけです。

 

慶良間の海は、想像以上に美しい海でした。

水深15m。真っ白な砂が一面に広がる中、

たった一つ、ぽつねんと佇むテーブルサンゴ。

ガイドのダイバーさんが、サンゴの上に何かを見つけました。

私を手招きして、これを見ろと指差します。

そこには、ひらひらとした真っ黒なドレスを着た何かがいました。

 

ダイバーさんがそれにちょん! と指を触れた瞬間、

鋭いカッターナイフを宛がったように黒いドレスが裂けて、

替わって真っ白な肌が姿を現しました。

 

タカラガイです。

 

もう、あまりにも美しくて、いまでもあのときの光景が、

まざまざと思い出されます。

 

サンゴの中を泳ぎ回るミツボシクロスズメダイの姿も忘れません。

 

とにかく360度を動き回れる自由に僕は夢中になりました。

 

約30分の初ダイビング。

途中で、ガイドさんが僕の顔をのぞきに来ました。

中には、怖がる人もいるそうで、目を見ると分かるということで、

それを見たんだと言っていました。

「どうでした?」と訊いたら、

「キラキラしてた」とのこと。

 

だよね。

だって、30数年経っても、ついこの間のことのように思い出せるんだもの。

 

僕の胸の中に白い光の珠が灯ったのはそのときです。

沖縄から戻って、一月くらい。

だから、2月になる頃まで、胸のみぞおちの辺りに

握りこぶし大の光の珠があるのを、はっきりと感じていました。

 

何かの神様が宿ったみたい。

そう思っていました。

 

夢心に天羽々斬剣を持たせたときに、

自然と、その珠のことが思い出されて、書きました。

そして、天羽々斬剣の剣先にも光を宿したのです。

 

物語の中には、他にもいくつもの光が描かれています。

 

光は希望の象徴であり、私たちの魂そのものであり、

宇宙を想起させ、輝かしい未来を私たちに想像させます。

 

あちらこちらで陰謀説を見聞きし、

実際に、閉塞感ばかりが漂ういまの世の中ですが、

私たちの未来には、きっと光があるはずです。

最も大事なことは、私たち自身が心の中に宿した光を失わないこと。

 

そう、私たちは誰しもがその内側に光を宿して生まれてきます。

それが私たちの魂そのものだというのであれば、

その光を私たち自身が感じて、失わないことです。

 

小さな画面ばかりを見つめて、私たちを惑わす情報に右往左往、

一喜一憂するのではなく、

空を、天を見上げて、

どんなに空が暗くなろうとも、

大いなる意思のもと、光を失わないで生きていきたい。

 

そんな願いも物語の中には、込めています。

 

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