昨日の「オブシディアンの指環 第三章 神日本磐余彦」が、Amazonで詳細が表示されるようになりました。

昨日の記事にリンクを張りましたので、どうか、よろしくお願いします。

 

 

さて、今日は「タロとジロの日」だ、そうで。

映画「南極物語」に登場した「タロ」と「ジロ」には、

稚内で会ったことがあります。

 

人なつこくて、可愛かった。

 

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実は、タロとジロの生還の陰に、当時のリーダー犬「リキ」がいたことは、

あまり知られていません。

 

遠征当時、タロとジロは、いわば新米で、

リキは、2頭をとても気にかけていたそうだ。

 

命の危険を前にしたとき、

果たして僕たちは、リキのように振る舞えるだろうか?

 

もし、誰もがリキのように振る舞い、

誰もが自分にしか出来ないことを持ち寄ったとしたら、

とても大きな愛が広がって、

僕たちは、大きな危機を乗り越えることが出来るかも知れない。

いや、出来るだろう。

誰かに合わせるのではなく、

自分で自分のことを信じて、自分に出来ることを信じる。

そして、その力を思う存分に発揮する。

 

それは、我が儘とは違う。

我が儘とは利己欲に固執した結果だ。

自己肯定、自己愛は、基本的に利他欲だ。

 

他人のために、自分の出来ることをする。

他人を褒めることもその一つ。

他人を褒めると、ドーパミンが出て、自分もまた嬉しくなるのだという。

 

まぁ、利己とか利他とか、そんな難しく考えなくても、

人は、誰かの喜ぶ顔が見たいのだ。

その誰かとは、自分にとって身近な人でなくても、

自分にとって大切な人とは限らない。

 

道を譲る、ドアを開けてあげる、レジの順番を譲るとか、

家族の誰かが作ってくれた食事に感謝する。

そんなとき、自然と「ありがとう」という一言が口に出る。

言った方も、言われた方も、少なくとも悪い気はしないはずだ。

 

それが、自分にとって大切な人なら、なおのこと嬉しくなるでしょう?

 

他人を踏みつけて、上へ、上へという時代はもう、終焉を迎えています。

 

こと、私たち日本人は、自然との関わりの中で、

自然の恵みを得る、その貴重さ、ありがたさをとてもよく知っている民族です。

生きものの命を得て生きていることを、とてもよく知っている民族です。

 

だから、「頂きます」、「ごちそうさま」という言葉がある。

自然を愛で、敬い表現する言葉がたくさんある。

そして、きちんと自然を畏れてきた。

 

いま、私たちは自然の中で生きること、生かされていること、

自分たちもまた自然の一部であること、

そして、今に生きる私たち一人ひとりに順列などないこと、

いま、生きていること自体が奇跡であり、

毎日の奇跡を積み上げて、私たちは生きているのだということを

思い出す必要があるのだと思っています。

 

それが、拙著「オブシディアンの指環」に貫かれているテーマでもあります。

 

今日のテーマ

>忍耐強くがんばったことは?

 

ずっと、書き続けていることかなぁ。

文芸社に出版頂いた「オブシディアンの指環」は、

いまのところ、それほどたくさんの人の目に触れてはいないのだけど、

いまだ、書き続けてるし。

でもそれは忍耐とは違って、好きで続けていることだし、

好きなことだから、苦にはならない。

書くこと、文字で表現することは、たぶん、

僕に出来ることの一つなんだろうね。

 

 

<予告>

「オブシディアンの指環 第四章 たった一つの約束」

私たちの世界は、「時の回廊」によって相互に結ばれている無数のパラレルワールドで構成されている。

ある日の夜、八幡神社から姿を消した花咲心優を追って藤井夢心は、自分たちが知る古代日本とは異なる過去、纏向王国へと辿り着く。

磐余の攻撃によって纏向を追われた夢心たちは、伊勢に辿り着いた後、奴名川、そして諏訪へと行き着いた。そこで夢心は、諏訪の王ミシャグジと、たった一つの約束を交わす。

諏訪に姿を現した磐余と夢心は遂に剣を交わす。その結末とは?