こんにちは、まーちです。
気がついたら、2017年も明けて2週間以上。時間の流れは速いものです。
東京は、先週末からとっても冷え込んでます。
久々に「うー、冷える~」という感覚。今年は部屋に入れたプルメリアが落葉しきらず、水やりが難しいな~って思っていましたが、さすがに寒の入りを迎えてから、かなり寒い日が続いています。
でも、勤務先のそばの神田明神は、梅の花がほぼ満開。春は確実に近づいていますね(^^)
今朝、通勤途中にある交番の前で、大声で罵っている中年男性を見ました。急いでいたのでちらっと見ただけですが、どうも若い男性と何かトラブルがあり、中年男性が若い男性を大声で罵っていて、その仲裁におまわりさんが入っているようでした。
中年男性は顔を真っ赤にして、交番の中に入れられてからもまだ大声を出していて、50mくらい離れても声が聞こえていて。。。
最近、「キレる人」が多いなぁ。。。なんて思いながら、その場を通り過ぎました。電車の中でも金切り声を上げる子供や、大声で他人を威嚇する老人など見ることがあります。
ま、あたしもダンナとけんかして、大声で罵ったりすることもありますけどね(笑)
キレたり、他人を罵ったりするのって、怒りというよりも「分かってほしい」という気持ちがその下に隠れているように感じます。「分かってほしい」というのは、「分かってもらえない」という怖れの裏返し。
もう15年以上前になるけれど、外資系企業の日本現地法人で営業として働いていたとき、上司から「とにかく顧客の話を聞け」と言われていました。何も有益なことなど提案しなくても、話を聞くだけで顧客は満足する、と。
人間って、「分かってほしい」生き物なのですね。
人はどうしても自分の物差しで、外の世界を見る。それは事実なのです。他人の心情を推測することはできても、他人の見え方を推測することはできても、自分というフィルターを通してしか、世界と接することはできないのです。
だから、自分の立っている場所を確認したくて、人と比べて優越感に浸ったり、自分を卑下したり。それは、他人から自分がどう見えているか分からないから、自信がないから、自分の立ち居地が分からないから、という怖れから来ているような気がします。
本当は「自分はすばらしい!」って自分で決めてしまえば良いのだけど、これってなかなか難しい。
人って、ありきたりな言葉だけど、ひとりでは生きていけない。共同体の役に立つことで、自分がここにいても良いんだって安心感を得られるようになってる。農耕民族の日本人ならなおさらそうなんじゃないかなって思います。
突出すると叩かれる。遅れると役立たずって言われる。だけど、自分は自分だって証はほしい。でも、人からどう見えているか分からない。。。
永遠のぐるぐる。
だったら、もう、えいや!で、「自分はすばらしい」って決めてしまおう。生まれてきた瞬間、泣いただけで周りの人は笑顔になったのです。それだけで「ありがとう」って感謝されていたのです。だったら自分で自分の価値を決めてしまおう!
他人が自分をどう思うかなんて決められない。だったら卑下せず、ひねくれず、ただひたすら自分の思うとおりに生きる方が楽しい。
なんて思った、今朝の出来事でした。
こんにちは、まーちです。
昨日は冬至でしたね。19:44に冬至点を過ぎ、今朝の朝日から太陽が復活していく流れになるようです。冬至に向かってぎゅーっと内側にエネルギーが向かっていたのが、ビッグバンのように外に向かい始める日。
両親の出身地方では、冬至にはかぼちゃと小豆を食べる風習があります。あたしはそこの土地に住んだことがないけれど、小さいころから冬至にはかぼちゃと小豆を食べて育ってきましたので、今もこれから1年の息災を祈りつつ、かぼちゃをいただいています。小豆は有るときだけね(笑)
冬至に食べようと思って置いておいたかぼちゃが、切ってみたら思った以上に水っぽくて、煮物はダメそうだな。。。ってことで、かぼちゃ餅にしてみました。見た目悪いけど美味しくできました。日本酒に合いましたよ(^^)
そんな冬至の昨日、突然ある人間関係に違和感を感じました。
今まではそこにいることが心地よかったのに。本当に急に違和感を感じたのです。そうしたらちょっと整理整頓したくなって、FBのいくつかのグループから退出したり、動いていないグループを削除したり、そんなことをしていました。
この「違和感」って結構大事なキーワードだと思います。よく分からないけどモヤモヤする、とか。理由はないけど先に進みたくない、とか。こういう髪の毛の先がちりちりするような感覚って、きっと何かあるんだろうと思います。
人間って、変化していないようで常に変化しています。「今」を大事に生きていくなら、しがらみとか過去からの関係とか、過去に達成しようとしていたけどできなかったこととか、そういうものに意識を残していない方が良いのでしょう。
「今」何をしたいか
「今」自分は何を感じているのか
「この先使うかどうか」なんて気にしていたら、「今」を生きることができない。「あの時はうまくできていた」なんて引き摺っていたら、「今」を生きることができない。とにかく「今」「今」「今」。これしかないのです。
そしてFBで3人ほど友人から削除したら、とてもすっきりしました。これはエネルギーを吸い取られているとかそんな話ではなく、ただ単にあたしがそこに「気を配らなくてOK」という状態になって、気が軽くなっただけなのだと思います。でも、それってすっごく大事。だって自分のやりたいこと、楽しいことに集中するために注げるエネルギーが増えたってことだから。
冬至も過ぎて、他人軸から自分軸へ。どんどん戻っていこうと思います。
それで、彼女が常々言っていること。「どんなにすごい人のいうことでも、自分が心地よくなかったら採用しないこと!」っていうアレ。自分を良い気分にするのには、とっても大切なことなんだなぁーって、改めて思いました。
あたし、ずっと「大勢の友達に囲まれて、わいわい楽しく暮らしたい」って思っていました。だけど、現実には親友と呼べる人も少ないし、FBでたくさん「イイね!」を貰えるような投稿もできなくて、割とマニアックなことを書いてしまう。
大勢友達が欲しいなら、にこにこしてて万人受けする話題を話し、声をかけられたら「え?!飲み会?いくいく~♪いつでもOK!」ってやってればイイのに!なぜできない!できない自分はダメだな~って長いこと思っていました。
だけど、本日、「その願いって、本当にあたしの願いなのかな?」と冷静に我に返り、考えてみました。そうしたら出てきたのが。。。
あたしはあたしのために時間を使いたい。
あたしはあたしのペースで動きたい。
飲みに行っても2時間で帰りたい(笑)
などなど。。。
出るわ出るわ、心の底の望みが。。。
みんなでわいわいしたいのはなぜか??
それは、みんなでわいわいしていると、他人の目から見て人生を楽しんでいるように見えるし、ひとりだと楽しんでいてもそう見えないし。。。っていう、またまた他人軸になっていました。そして、実際は思ってもいない望みを叶えようと必死になっていました。
そりゃー、叶わないわ!!
だって、心の底の、自分の願いじゃないのだもの。
これって、小学校に上がる前によく歌わされた「友達100人できるかな?」の呪いじゃね?!クラスメートが数十人しかいない、あの小さい世界で生きていた頃、「友達100人って無理!」って思ったもの。できないのに楽しげに歌わされたあの嫌な気持ち。友達は多い方がイイという、根拠のない世界観。
とはいえ、人とわいわいするのも好きです。でも、それは、自分がひとりの時間を十分満喫して、好きなことに没頭できる時間の確保ができてから、なのです。
あぁ、こういう自分の本当の願いを掘り下げるって、とっても大切。じゃないと、いつまでも「自分、ダメ人間」って思ったままになってしまう。
ここで気づけて良かったなぁ。
小さな一歩だけど、少し自分軸への還り方が分かりかけてきました。
こんにちは、まーちです。
実はあたし、今年の2月に脳神経外科の手術をしました。
手術をする主な原因になったのは、命に関わるような症状ではなく、脳梗塞などでもないのですが、10万人に5人ほどという発症率の低い病気でした。
手術後、その影響で、塩パンひとつ食べるのに30分かかるような状態が2ヶ月くらい続いたでしょうか。お腹は空くのに食べられない自宅での療養の日々。歩くスピードがチワワよりも遅く、外出もままならなかったので、家で普段見ないテレビも見てました。
何の番組だったかすら忘れてしまいましたが、何かで見た「あんこう鍋」。『普通に食べられるようになったら、食べたい!』という願い。退院翌日の手帳には、「いせ源 あんこう鍋」の文字が書き込まれてました。
なんとなく良くなってきて、お酒もまぁまぁ飲めるように回復したのは夏。それから再びあんこうの季節が巡ってきて。。。
ようやくあんこう鍋にたどり着きました!
長かったよ~!
かつてなら、「あれからずいぶん時間経っちゃったし、ま、いっか」って行かずに終わりにしてしまったかも知れないけれど、最近「自分の小さい欲求から満たす!」を心がけるようにしているので、あの2月の切ない自宅療養の日々を思い出しながら、行ってきました。しかも、ケプリさんの鑑定の後に、その足で。
うん、行ってよかった!
あんこう鍋というものを、自ら選んでちゃんと認識して食べたのは初めて。居酒屋でほんのちょっとのあん肝は食べたことがありますが。
でも、今回のあんこう鍋は、あたしにとって「療養期間の終わり」を告げてくれたみたい。10ヶ月もの間、「よくなったら、お酒も前と同じくらい飲めるようになったら、あんこう鍋が食べたい」って思ってきたんだもの。
今、ここにこうしていることって、普通じゃないんだ。奇跡なんだ。
これ、あたしだけじゃなくて、他の人たちもそう。生きて普通に生活して、笑ったり泣いたり悩んだり。
それをできること自体が奇跡だって、改めて感謝を感じました。
発症してから本当に辛かった。人の目を見られないし、顔を合わせられないし。そして、主治医の先生と出会って、入院中も家族が毎日のように来てくれて世話してくれて、今ここにいる。
あたし、この先「あんこう鍋」を食べるたびに、この気持ちを思い出すんだろうな。そしてこのあんこう鍋は、「復活の象徴」になるのだろうな(笑)
10ヶ月越しの願いのあんこう鍋は、普段の10割増しくらいで美味しくいただきました。










