義母は本当に呆れるくらい何もしない。
夕飯の時に、もう義母を見てるのも辛い。私が辛い。嫌っ!
食事を前にボーーーッと時計を見つめてる。
「なに?ご飯の時間がちょっと遅くなったから気になる?」
というと
「いえ!」と言いながら、まだ時計を見つめてる。
今日の日付を聞いても、曜日を聞いても、年齢を聞いても
時計を見つめて考えてる(??)人なので
別に意味はなく眺めてるんだろうけど
もう、その姿があわれでたまらない。
可哀想なんじゃない。哀れ、ただ哀れ。
こんな義母をあと何年見て過ごすのか・・・・(-""-;)
「ねえ、お願いだからこれから私たちもお義母さんの年になる。
その時の励みにも、何かして!
出来なくてもいい、三角に折るだけでもいい、折り紙を毎日毎日
折り続けるとか
朝、一杯のお茶を淹れて飲むとか、わからなくても新聞に目を通すとか
お義母さんて何も出来なかったけどお相撲だけは楽しみに
決まって見てたわね。とか、毎日何だかわからないけど折り紙
欠かさずやってたわね、とか
そんな姿を私たちに見せて!これからの私たちのためにも
なにかして!」
悲痛な叫びで言った。
「うふふふふふ、何も出来ないわね~へらへら~」
頭に血が上りそうになった。
「お義母さん、そこでなんで笑うの?真剣なお願いしてるのよ」
「何も出来ないって、自慢してるな!ヾ(▼ヘ▼;)」
私は、せめて自分が生きているうちは、毎朝みんなが読み終わった
新聞をきちんと畳んでおくとか
嫁の嫌いなアクリルタワシをぐちゃぐちゃに作って溜めておくとかww
なんでもいい、背中を丸めて小さな身体になって
それでも
「お母さんて、頭空っぽだったけどあれだけは感心よね」
「お義母さんは、本当に酷い縫い方だったけど
必ず雑巾縫いしてましたね。使えないんですけどね」とか
そんなことでいい、次の娘たちのためにも
何か一つ背筋を伸ばして出来ることをしたい。
「歩けなくなってるのにね、週に一度だけはお洒落して
お化粧までして歌を歌いに行ってましたよ」とか
死んでから、何か一つ小さな尊敬をされてみたい。
無駄飯とまで言われ、生きている意味もないとまで言われ
死んでも「あ~、よかった。厄介払いよね」なんて
自分が情けない。生まれ変わる意味もない。
嫌いな義母でもせめて
亡くなったあとには
「あれだけはお義母さん、すごかったわね」
と言ってみたい。言ってあげたい。
ご飯が終わったら夫がパジャマ係り、私が洗い物と翌朝の
義母のご飯の準備をしていたら
「お休みなさい」もなく姿を消していた。
わかってるのよ。もう何を言っても無駄だって。
でも、でも、言いたくなるの。
私自身が何のために義母にご飯を与えてるのか
その意味が分からなくなって来てるの。