○十年前私は横浜からこの地へ嫁いできた。
厳密にいえば、東京で大学卒業後仕事をしていた夫を舅姑が呼び寄せたというのが
正しい。
私はまだ若く、深い考えもなく夫についてこの地へやってきた。
浅はかにもこの地へ来るということは、私の実家の家族を捨て
夫の陣地へ一人果敢に飛び込むこと!などと考えもしなかった。
以来、気がつけば姑にとって嫁どころか
都合のよい使用人が一人やってきたことでしかなかった。
一年に一度は里帰りさせてあげるという
夫の甘言につれられてのこのこやってきたのが間違いだった。
姑はいっさい私の里帰りを認めなかった。
盆暮れ(いまどきこのセリフ)さえ実家の母が亡くなるまで
ただの一度の里帰りでさえどんなに懇願しても許されなかった。
夫はそんな母親の顔色をうかがって、ついに一年に一度は里帰りさせてやるという約束も
果たそうとしなかった。
若い私は実家に帰りたいと泣いて懇願した。
姑は「向こうから(実家の母から)来ていただけばいいでしょう」と厳しく
私の里帰りをけん制する。
もちろん何度かこっそりと里帰りをしたことがあった。
内緒のつもりが発覚した時の姑の言葉はいまでも針のように突き刺さっている。
姑のキツイ性格はこれだけにおさまらなかった。
姑の意地悪をあげたらキリがない。
長男の嫁は、すでにこんな姑と絶縁状態だった。
嫁は嫁、しかもただの使用人としてどう使ってもかまわない。
自分の娘は大事でも嫁だって他人様の大事な娘
でもあるということは、考えにも及ばない人だった。
そんなこんなで私の姑への恨みはぬぐえず
今、こうして年をとって、あのころに比べたら嘘のように
おとなしくなってきた姑だけど
同居してあげたのは精一杯の私の譲歩!
それ以上私に今更甘えてこないでほしいと
こんな気持ちで、毎日自分を抑えるのがやっと。
年老いた姑には可哀想な気もするが
無駄話はほとんどしない。
母は娘の私とどんなにか無駄なおしゃべりがしたくて
我慢しながら長い間私の里帰りを待ち続け、死んだと思います?
お義母さん、わかるかしら?