”もしかしたら”が確定されるって
もっと恐ろしい事かと思ってました。

疑う事なくあっさり診断された日
絶望感よりも解放感の方がやや優った気がします。

誰も悪くなかった!
私が悪いわけでもなかった!

これに尽きます。



私ももしかしたらADHDかもしれない。

そんな疑いを持ち始めたのは20歳の頃
【片付けられない女たち】という本を片手にに友達が悩んでたから。

衝動に駆られて無謀な事を一緒にやってくれる、類友でした。
えー!そんなこといったら私もだよ!
一緒に悩んだのもつかの間

どうしたらいいか書いてないね…
うん…
じゃあ悩んでも仕方なくない?
そだね

で終わりました。笑

だいぶウッカリさんでしたが
そんなことは誰にでもあること で
まだ努力でなんとかなると思ってたので
病院に行くことはありませんでした。

それに、本には私にとって都合が悪い事も
多く書かれてました。

適さない職の代表例が「命にかかわる仕事」
私が子供の頃から決めてた進路は”看護師”だったし、当時もう看護学生だったので。

でもなんやかんや
看護師10年目を迎えようとしてます。

できるナースだとは思ってません。
でも ダメナース、と排除はされませんでした。解雇されたり左遷された事もありません。

空気が読めないからそう思うわけでもなく
どちらかというと過剰に空気を感じてしまう性質です。

辞める時に”どうして⁉︎”と惜しまれる事のが多かったです。

いざネットでADD/ADHDで検索すると 絶望感で溢れていて心が痛みます。

多くの人が最初から選択したいような人生は私も歩んできてませんが

もしADHD/ADDを抱えて 将来の進路に絶望感を持っている方がいたら
少しでも希望が持てる実例になれますように。