今日は、以前紹介したスキャパレリ

クリスチャンディオールノウハウを学んだ

ピエール・カルダンについてのご紹介です。



AntiqueBitte 目黒店 アンティーク&ヴィンテージ-カルダン


ピエール・カルダン

Pierre Cardin 【1922-】


イタリアのヴェネツィアに近い農村に生まれる。

幼年期にフランスのロワール地方に移住。


17歳の時、仕立屋に弟子入り。

第二次世界大戦により、兵役で赤十字軍に配属。


その時、巡り合ったジプシー占い師に、

世界大戦が終わったら、パリに行くように言われた。

世界中に名が広まることを予言される。



1945年、パカン(パキャン)の店から、


スキャパレリの店へ移る。


ジャン・コクトージャン・マレーらと知り合い、
映画「美女と野獣」の衣装と仮面を担当する。



クリスチャン・ディオールが独立して構えたアトリエに移る。

ブランドの立ち上げに参加。

以後、傘下に加わり、ノウハウを学ぶ。



1954年 オートクチュール・コレクションを発表。




1980年 パリの由緒あるレストラン「マキシム(Maxim's)」の

経営権を獲得し、オーナーになる。





1991年より、ユネスコ親善大使として

チェルノブイリ被害者救済などにも参加し、

各国で数々の勲章などを受勲。


日本政府からも、民間の外国人としては最高の

勲二等瑞宝章を受勲。



1992年 ※フランス学士院芸術アカデミー会員に

ファッション界から(クリエーターとして)初めて選ばれる。

※世界で最も権威のある学術団体。



1994年 崩壊直前のソ連のモスクワ赤の広場で

カルダンのファッションショーが開催される。




2009年 高島屋で日本登場50周年記念して

ピエール・カルダンフェアを開催。







『20世紀ファッション事典』の著者は、

「ファッション界の異才。デザイナーには

感覚人間が多いが、カルダンは知的で、

しかも多面性を持ったマルチ人間として卓越している。

彼のアトリエは貴重で壮大な実験室だ

と評価している。


デザイナーは創造や製作の分野を受け持ち、

経営はバッカーやパートナーに任せるが、

カルダンはその両方を一人でやった。


確実な収入源となるライセンス方式を

ファッション界に持ち込んだ元祖もカルダンだった。





日本でのピエール・カルダンの存在は、

落ち着いた印象ですが、
ビジネスマンかクリエーターか、

私は、その両面以上を兼ね備えたカルダン

日本の購買者層からの評価以上に

偉大な存在に感じます。



Danke