夏までは経過観察をすると決めた、
同じ日に書いたこと。
くじけそうになったら、
何度でも読み返して、
自分自身に力を与える、
大切な日の日記。
『病気になってから、
いのち
についての考え方が
ずいぶん変わりました。
1リットルの涙、
というドラマや、
余命1ヶ月の花嫁、
という番組を見て、
明日は当たり前にあることじゃないって、
理解しなくちゃいけない、
感じなくちゃいけない、
って思っていました。
でも、
わかっていた「つもり」だったんだって、
わかりました。
病気になって、
当たり前にあった、
目の前の幸せが、
突然消えてなくなってしまった感覚になりました。
日々の育児に追われながら、
それでも子供の成長に一喜一憂して、
いつか巣立つ子供を見守り、
そして孫の誕生を見守り、
ようやくおとずれる、
Pとのゆっくりした二人の時間が、
やっぱり「当たり前」に
そこにあるような気がしていました。
全然理解していなかった。
病気になって
何度も同じことで泣きました。
yuyuとukiが結婚するころ、
私死んじゃってるかもしれないって、
泣きました。
Pに、
老後ゆっくり二人で過ごす時間なんてないかもしれないって、
泣きました。
もしかしたら、
10年後、
透析になって、
お金だけかかる、
迷惑な母親になっているかもしれないって、
泣きました。
泣いても泣いても、
やっぱり理解できなかった。
頭の中には、
図々しく「当たり前」の明日があって、
それが「当たり前」じゃなくなってしまう恐怖が消えなかった。
「今を生きる」
って、言葉に書くととっても簡単に聞こえるけど、
簡単にできることではないです。
病気がわかったとき、
「余命20年」
と宣告されたような気持ちでした。
そのうち10年は闘病生活、って。
人間の命は、
「死」に向かって進んでいるけど、
死ぬために生きてるわけじゃない。
病気になってわかったこと。
描いている明日は「当たり前」じゃないけど、
描いている明日を「当たり前」にさせるのは、
私自身だってこと。
「あー今日はなんかダメだったー」
なんて一日もあって、
「今日の私はよくがんばったー」
なんて一日もあって、
だけどどんな一日でも、
ベッドに入って、
「明日は何をしよう」
って、ワクワクできたらいい、
今はそう思っています。
明日を見失いそうになったら、
読み返せるように、のこしておこう。
きっと明日はいい一日になるよ。
何をしようかな。
』
この日、
一つ目の前にあった高い山を乗り越えた気がした。
『余命』という表現、
実際に残された時間を生きていらっしゃる方が見たら、
不快に感じる使い方かもしれません。
ごめんなさい。
でもここでは、
2009年3月27日に、
fromが感じた気持ちとして、
そのまま転記することにしました。
from.
同じ日に書いたこと。
くじけそうになったら、
何度でも読み返して、
自分自身に力を与える、
大切な日の日記。
『病気になってから、
いのち
についての考え方が
ずいぶん変わりました。
1リットルの涙、
というドラマや、
余命1ヶ月の花嫁、
という番組を見て、
明日は当たり前にあることじゃないって、
理解しなくちゃいけない、
感じなくちゃいけない、
って思っていました。
でも、
わかっていた「つもり」だったんだって、
わかりました。
病気になって、
当たり前にあった、
目の前の幸せが、
突然消えてなくなってしまった感覚になりました。
日々の育児に追われながら、
それでも子供の成長に一喜一憂して、
いつか巣立つ子供を見守り、
そして孫の誕生を見守り、
ようやくおとずれる、
Pとのゆっくりした二人の時間が、
やっぱり「当たり前」に
そこにあるような気がしていました。
全然理解していなかった。
病気になって
何度も同じことで泣きました。
yuyuとukiが結婚するころ、
私死んじゃってるかもしれないって、
泣きました。
Pに、
老後ゆっくり二人で過ごす時間なんてないかもしれないって、
泣きました。
もしかしたら、
10年後、
透析になって、
お金だけかかる、
迷惑な母親になっているかもしれないって、
泣きました。
泣いても泣いても、
やっぱり理解できなかった。
頭の中には、
図々しく「当たり前」の明日があって、
それが「当たり前」じゃなくなってしまう恐怖が消えなかった。
「今を生きる」
って、言葉に書くととっても簡単に聞こえるけど、
簡単にできることではないです。
病気がわかったとき、
「余命20年」
と宣告されたような気持ちでした。
そのうち10年は闘病生活、って。
人間の命は、
「死」に向かって進んでいるけど、
死ぬために生きてるわけじゃない。
病気になってわかったこと。
描いている明日は「当たり前」じゃないけど、
描いている明日を「当たり前」にさせるのは、
私自身だってこと。
「あー今日はなんかダメだったー」
なんて一日もあって、
「今日の私はよくがんばったー」
なんて一日もあって、
だけどどんな一日でも、
ベッドに入って、
「明日は何をしよう」
って、ワクワクできたらいい、
今はそう思っています。
明日を見失いそうになったら、
読み返せるように、のこしておこう。
きっと明日はいい一日になるよ。
何をしようかな。
』
この日、
一つ目の前にあった高い山を乗り越えた気がした。
『余命』という表現、
実際に残された時間を生きていらっしゃる方が見たら、
不快に感じる使い方かもしれません。
ごめんなさい。
でもここでは、
2009年3月27日に、
fromが感じた気持ちとして、
そのまま転記することにしました。
from.