出雲大社の前に立つと、出雲の街を見下ろす形になるようだ。

街を見ると、遠くに大きな鳥居が見える。

いつもの通り、正面の鳥居から入り本堂に進んでゆく。

かなり長い道のりだが、不思議と心地の良い気分がする。

From-Ban 蛮殻


が、本殿に着くと・・・工事中・・・・、寺社を廻ってもこの引きだけは変わらずですな・・・。

本殿の前には老若男女、どの年代の人も多く訪れているようだ。

本殿で挨拶を済ませる、大分参拝も慣れてきた。

その後、今日の予定を考えながら駐車場へと向き直る・・・。

ふと目に入ったため、老夫婦のカメラのシャッターを押しやや足

早に駐車場へと向かった。

何時までも、仲の良いのは羨ましい。

ここは縁結びの大家、仲の良い人々を見るとこちらも幸せな感じ

になるのは不思議なことだ。


さて旅行記もかなりの期間、足いや手が遠ざかる・・・・手が止まってしまっていたが・・・ようやくと更新してみようかと思う。(色々な意味で申し訳ないです・・・)

どうやら、先日の学会か何かで大勢の学生と思われる人たちがホテルロビーに待機しているようだ。

そんな人達を横目に、ちょっと気まずい思いをしたカウンターでチェックアウトを済ました。

今日の空は蒼い・・・。気分転換の効果なのか?それとも・・・。

そうして、平田の駅を後にし出雲大社を目指し走り出した。

が、青空のはずなのに所々に雲が掛かっている、30分もしないドライブの中で幾度か激しい雨に降られるという、まれな経験もしたのだが・・・・流石 出雲?・・・それとも日ごろの行いか?・・・出なければ相性が・・・。

それでも、出雲大社の駐車場に付く頃には蒼い空がきれいに見えていた。


From-Ban 蛮殻



あの日以来、「 絆 」という言葉がことさら持ち上げられる。

絆とは、信頼関係の上に成り立つものなのではないだろうか?

では、今の私は絆という言葉を口にすることが出来るだろうか?そう思った時に、私にはその資格が無いことを痛切に感じる。

ある人が、「 日本は東北を見捨てたんだ 」と言い放ったのを見たときに一瞬憤激をしたが、今の被災地を見れば反論する言葉は浮かばない。

結局は結果が物語っている。

ただ、あれから被災地でそれこそ戦った人たちが居て、未だ戦い続ける人たちが居る。

被災された方々は勿論、自衛官・消防官・警察官・ボランティアの方々多くの人たちがそれこそあの事態立ち向かっていた。

3・11以降、確かに「 絆 」はあったと私は思う。

出来る範囲で、出来る限りの事を多くの人たちがしたことは間違いない事実だ。

その結果が何故、「 進まぬ復旧 」なのか?

この1年を見て、政治にその責があることは間違いない。そうして、私はその政治に対して声を上げてこなかったことも確かだ。

国会質疑で平気で「 東北を元に戻す 」と言う愚か者が居る。

大切なものを失った人たちは、それを取り戻せない喪失感と今も戦っているのに。心が折れてしまいそうな状況を察することが出来ない人間が政治をやっている。

心が折れそうなのは被災地に入った人たちもそうである。

自衛官・消防官・警察官の中にも多くの苦しみを抱えた人たちが居ることは問題になっている。

当時、道路が寸断され向かいたくても現地に向かえず、かつ海上輸送の手段も運用できた艦船は1~2隻程、それを補うために民間フェリー会社に協力を求めるも主たる港湾はずたずたで利用できない。それを目にし歯がゆい思いをした人たちが多く居たことは事実である。おまけに、先に行われた高速道路無料化で国内のフェリー会社は船の売却や倒産をしている始末。

もしかしたら、震災前から災いの種はまかれていたのではないだろうかと疑いたくもなる。

現地入りをした隊員たちが最もつらかったのは「 自分の子供と同じ位のご遺体を目にしたとき 」だったそうで、私にはその悔しさや無念さは察することなどは出来ない。

そうして、3勤1休という過激なシフトで絶望と対面し続け亡くなった方たちも出たのである。

その上に、原発事故が重なり・度重なる余震の中で恐怖とも対面し続けたのは自衛官・警察官・消防官の多くの方々。

そのような人たちに我々は何をしたか?その感謝の気持ちが「 公務員給与削減 」と言う手痛いしっぺ返しだ・・・・・。

これらのことからも私は「 絆 」という言葉を使う資格はないといえる。

日本に絆があるのなら、新潟の台風被害は何故同じように取り上げられないのか?それもはなはだ疑問であるし、本当に絆があるのならば沖縄の問題に対してももっと真摯に対応できるのではないか?もし絆なるものがあれば・・・・上げれば切が無い。

では、あったはずの絆が何故断たれたのか?

改めて私は、政府に多くの責任があると断言する。

震災・事故対応で議事録を作らずスピーディーの情報を隠蔽し、直ちに問題は無いと真実を知りながら言い続けた上に、苦しみ人々・不安にさいなまれる人々がいるのにTPP・消費税論議をしたのは誰か?その結果が今の東北であり、その結果がより一層の福島第一原発の問題に対する不安なのではないか?

そして、それに声を上げてこなかったのも私自身なのである。

あれから1年、誰が何をして誰が何をしてこなかったか?

感情論ではなく、冷静に冷徹に見返すべきなのではないだろうか?



恋すると変わる? ブログネタ:恋すると変わる? 参加中
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はるか昔ですが、恋をしたことは多々あります。

変わるかということについては、「 変わります 」

外見については自己判断では解りませんが、明らかに思考が変わるのは間違いないかと。

単純に書けば・・・・・、


恋をする > 相手を思う > 相手を思いながら相手の思考を予測する >相手の思考を自分の良いように捻じ曲げる

ということが私の場合では起こることが多かったかと、相手の思いなど解るはずもないのにどこかの段階で「 願望が現実にすり替わる 」現象が起こるのは確か。

こうなると妙に相手を意識したりと・・・・・傍から見ると恐らく行動に変化が出ているはずです。

まあ、行き過ぎればこれも問題ですが、恋心を伝えるにはそれなりに自分を鼓舞する一種の自己暗示が必要なようにも思います。

俗物的に書きましたが、私という事例を見返すとこうなるかと・・・・・・。

それから、上の空になったり夜眠れなくなったりということにも陥ります。

思うだけ苦しくなるので・・・・・私の場合は相手に気持ちを伝えることで早く楽になりたいという思いが強くなったように思います。

冷静に分析すれば、

はっとする > やや上の空 > 上の空 > そわそわしだす >落ち着きが無くなる 
> 大胆になる (友人に恋について相談したりと考えられない行動をとる) >より 大胆になる (告白)

・・・・・・>激しく落ちこむ!! なんて流れになりますから

傍から見れば、それはそれは見ていて飽きなかったのではないでしょうかね~。


なので、この話題については 「華々しく変化する」ということが私の考えです。

できれば、最後の部分激しく落ち込むではなく、恥も外聞も無くいちゃいちゃするに多くの人が変わることを願うばかりです。

(おいおい、恥も外聞もは余計だろ~)

思いが通じれば思いっきりのろけてください・・・・この結果でも周囲から見れば大きく変わるでしょ?

恋は盲目、しかし周囲は
刮目、その後は暗黙って感じですかね。

恋、して~な~っ!! (文体まで変わるもんですよ)

年金が無駄になるって本当だと思う? ブログネタ:年金が無駄になるって本当だと思う? 参加中
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私の考えは「 予測できない 」というもの、10年前にスマートフォンが普及することを予見できそれに合わせ行動できた人はどれほどいたのでしょうか。20年前、年金制度がこうまでずさんだったと声を上げ改革をしようとした人たちはどれほど居たのでしょうか。

どんなに試算をしても、あくまでも予測を超えないものに振り回され続けるのかわからない。

自分は必要と思えば加入すればよいし、そう思わなければ加入しなければ良い。

そこは自己責任で、義務ではなく権利を放棄したのだからその後何が起ころうと助けないという線引きをすればいい話。

無駄と書かれると、払った分全て無くなってしまう感じがするが幾ばくかは返ってくるのではないでしょうか?

無駄ではなく、負担が重くなるということ現状のままで行けば事実だが、それをどうにかする力は今の日本人には無いのでしょうか?私はその辺りがもやもやしています。

ただいえることは、「 公平など世の中に無い 」ということ、だからこそAIJや年金管理をしっかりやらなかった人々どんなに困難でもきっちりと責任を取らせる必要があるのではないでしょうか?

確率が高くてもまだ見ぬ将来を不安視するよりも、事が行われ明確な事実が残っている事象、私なら当然後者を問題にしそこを改善するようにしようと思います。