「自分の道」と「多面体」 | 広島県福山市地域活性化!楽遊会のなおきち(山田直樹)☆

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広島県福山市・尾道市・府中市等をアート、イベント、人、お店の力で活性化しようと日々動いております☆
まだまだ未熟ですがフリーでデザイン等もやってます◎

たくさんの人と関わろうとしている自分がいました。
そうする事がチャンスを生むと考えていた。

しかし、原点に立ち返ってみるとわかることがありました。

「誰でもいいわけではない。」

今年に入ってこのテーマについて何度考えた事だろう。
どんな人でも受け入れ仲良くしていければ。。という理想はありますが
自分の事しか考えない人まで受け入れてしまうのは害にしかならないのだと学びました。

自分自身の被害で済めばいいけど、仲間にまで被害が及んだり不快な思いをさせたり。
立場や関係性なんて関係なく自分に出来る事は相手を問わずしてあげたい。。
その思いは結局害しか生まないのだと数年かけてわかった。
とても残念だけど。

人に嫌われる人には嫌われるなりの原因が必ず本人にあるものです。
その事を本人が気付かず意識していない場合
嫌われてしまうというのは物事の本質でしょう。
時代問わず変わらない事。

逆に好かれる人はどこにいって誰と接しても好かれるように出来ています。
それは好かれる理由が本人にあるから。
行動、相手に投げかける言葉、精神姿勢、関係性、相手との距離感等
総合的な事だと思います。

まず自分がどう在りたいのかをはっきりとさせ
そうなれるように精神姿勢から変化していかなければ無理だ。

これは俺自身にもあてはまること。
自分が好かれる人間ではないというのは昔からわかってる。
だからこそ出来るだけ人を不快な思いにさせないように気をつけてきた。
まだまだ全く出来ていない部分があることも自覚してる。

しかし、万人に不快な思いをさせないようにしようとする事は
同時に自分の価値も殺してるのだと気付いたんだ。
世の中には正反対の価値観を持っている人がいる。
その全ての人に不快な思いをさせないというのは正直無理だ。

そんな事をしようものなら目立った事は一切出来ない。
地上に出ずひっそりと暮らすしか無い。

しかし、残念ながら俺はそんな事望んではいない。
自分の思い通りに生きるし、仲間も作るし、自由になりたい人を自由にしてやりたい。

だとしたら、今までやってた「出来るだけフラットに」物事を考え行動するというのは
一番駄目な方法だったんじゃないかと思った。

リーダーは誰に対してもフラットに接するべきというのは幻想だと思った。
それはクレーマーが望むことであって、現実の世界のルールはそうではない。


リーダーは偏るべきなんだ。


そして「敵」を作る事なんだ。
これは、わざと敵を作れということではなく
賛否両論ある事に関してあえて自分の意見を公言するという事。

その事によって、自分の価値観に沿った人間が賛同してくれるだろう。
逆に、反対の価値観の人間は批判をするだろう。
それが自然な形なんだよな。

個人的に思う事だからさ
反対意見の人がいるのも当然。
無意味な言い争いは本当に嫌い。
不毛なやり取り程無駄な事は無い。

自分はこうだ!と主張すれば必ず周りから人はいくらか離れていくだろう。
しかし、それはもともと価値観があってない人だから離れていっても
問題ないというか、それは歓迎すべきことなんだ。

そのぶん、より自分の価値観に近い人間が集まってきてくれる事になる。
フラットな思想というのは誰も傷つけないというメリットはあるけれど
魅力にはかけてしまうのだと思う。
その事は残念だけど、今俺が使う価値観ではないのだなと思ったんだ。

フラットな視点を手に入れる事で自分が関われる人間の幅は確実に増えた。
しかし、今は増やしてはいけないのだと思った。

今は出来るだけ似ている価値観の人間でかたまるべき。
その後、必要に応じてフラットな面も出せばいい。

自分の環境、状況を客観的に見て今自分がどのステージにいて
何を求められているのか、そして自分はどうしたいのかを考えるべき。

変わる事のない価値、法則っていうのは一部あると思ってる。
しかし、時代にマッチした、タイミングに沿った価値観の方が
即効性はあるのだとも思った。
不変的な価値観を根本に起き、それに沿ったより細かな表面に見える部分の価値観を
自分の意志で構築していきタイミングや時代の変化に応じて変えていく事。

例えるなら多面体の形をした不変的な価値観を自分の中に持ち
一つの面に絵となる表面に見える価値観を表現し
時代やタイミングに応じて使う面を変えていく。。という感じか。

根本にあるものや価値観自体は変化していないのだけれど
見せる面を変えていくという概念。

なんか、そんなイメージが今頭の中に浮かんだよ。


人間は二面性を持っていると言われるけど
二面性どころか多面性を持ってると俺は思う。

残虐な面もあり優しい面もあり欲張りなとこもあれば
謙虚なとこもある。
どの部分を出すか自分でコントロール出来れば一番いい。
全て自分自身なんだから。


自分の道を行く時
たくさんの雑音に惑わされるだろう。
好き勝手言われる中、その全てを取り入れていては
結局平面的な人間になるだけだ!

大切なのは平面的な人間になる事ではなく
自分の軸、芯をしっかりと持ち
それに照らし合わせ参考になる事は積極的に取り入れ
そうじゃないものは忠告として真摯に受け止めていくこと。
真摯に受け止めはするが行動は変化させるべきではない。
自分自身の人生は自分の物であり
他人が操作するものではなく、他人の価値観に左右されるべきものではないからだ。

自分は自分。他人は他人。
冷たい言葉かもしれないけど、一生そう思いながら生きると思う。


共感を得る為に自分のいい面を見せ続ける事に
どれほどの意味があるのだろう。
今は素直にそう思う。
違う価値観の人間を共感させる事は難しくないかもしれないが
それが自分の望む言葉でなければ結局最終的には自分が苦しむ事になるだろう。
嘘の言葉ではなく、本心だったとしても受け取り方は相手次第。
人間には多面性があるという概念を知らない人間からすれば
まるで嘘をついているように見えるだろう。

そんなレベルの話しを延々としてたら時間がいくらあっても足りない。
理解されないなら理解されないでいいから、
価値観を共有出来る仲間とゴリゴリいきたいかな。

積極的にフラットじゃない自分の面を見せていきたいと
今は思ってる。

多面体の違う面。
過去の自分が使ってた面。
出し方すら忘れてしまったが今必要なのはそこなんだよ。

広く関わらない。
狭く深く。

たくさんの名刺交換なんかよりな、
数人の大切な仲間の方が絶対大きな力を生み出す事が出来るって。


今はね、そんな事を思ってる。
もっと自分らしく。
もっと、自分らしい素に近い関係性を構築したい。

小学校のときの友人関係くらいに。
好き嫌いでいいんじゃないん。
結果、好きだと思える人間って価値観合ってんだよ。
おもろいやつって価値観似てんだよ。

人生の3分の1を消費してしまった自分が今、思う事。