上の2人から見て、

私はニコニコ末っ子に対して

甘いと感じる部分が

大きいようです。




ディスカッションを深めると

平等性はある程度担保されているし

決して差別的であったり

不平等とまではならない事案ばかりです。




往々にして子どもたちは、

自身の不満や理不尽という思いをベースに

他児の優遇される姿と比較します。




「同じこと」という捉え方が

そもそも違うので、

私の言い分に納得させてしまいます。




例えば


❮宿題をする❯❮しない❯

その行為に対する覚悟が

違います。



にっこりしない。


ニコニコそう?じゃ、学校にそのまま行くのね?


にっこりやだ。


ニコニコじゃあ、しなさい。


ここで、にっこりには

宿題をせずに学校へ行く覚悟はありません。

だから、私は、

どうせするのだから、

「やれ」というスタンスです。




ニコニコしない。


ニコニコしなさい。


ニコニコなんで?


ニコニコ賢くなるからよ。


ニコニコならなくていい。


ニコニコそれはお母さんが困るからしなさい。


ニコニコやだ。


ニコニコほら、一緒にするよ。



ここで、ニコニコは、

本当にしないで学校に行く覚悟があります。

だから、私はむしろお願いして

宿題をして貰う立場になり変わります不安


私が「どうせ困るのはあなた自身」と

ニコニコを突き放す勇気が持てたら

プロセスも結果も変わってくるかもしれません。

でも、リスクが大きすぎて勇気がありません。


ニコニコにっこりと同じように

出さなきゃいけないと思ってるのであれば、

私がチキンレースで負けたという構図です。




そして、これが


にっこり「私にはしなさい、

   なのに、ニコニコには『一緒に』って。」




と、末っ子に甘い

という主張になってくるのです。