薬でも万引きでも、

捕まっても

更生したとされても

再犯するものはいて、

再犯を繰り返すものもいます。




折角薬が抜けて

更生しようとしていても、

つい甘い誘いにのってしまったら

また抜けられなくなってしまう。




悪い誘いには、

悪い誘いなりの理屈や正義があって、

善悪の判断が鈍るのも

理解できます。




中毒になる前に、

しっかり、依存しない

健康な人間になることが

自分を守ることに繋がるのだと思います。




人って、そう簡単に

自信満々ではいられないと思います。




今の私は、

子育てにおいて、

これまでの在り方や

これからの在り方、

夫との関係も含め

反省したり

試行錯誤したり。



知識を得ても、

子どもって十人十色だし、

同じ一人の子どもだって、

思いや考えは日々変わるから、

【今】何が必要か、なんて

簡単じゃないです。





愛さえあれば、

大きな間違いにはならないと思うけど、

色んな掛け違いは

起こることだし。




子どもの世界は広がっていくし、

そろそろ私のもとを離れていく。




だからこその今だと思っています。





呪縛のような

「あんたが悪い」

「あんたのせいで」

「子どもが可哀想」に

真っ直ぐ向き合って

自己反省することも大事。


自己を改めることも大事。





でも、他人の評価に

私自身も我が子も任せることは

良い結果を生まない気がする。


とらわれちゃうけど。




ニコニコの表情が、

私の今見るべきもの。


ちゃんと会話ができる。




そうだ。義父は

「あんたのせいで家が楽しくないから

うちに来るんだ!

うちが楽しいから来るんだ!」って言ってた。



(たしかに、今、

我が家で楽しそうじゃない)

と思ったけど、

ニコニコは、義父の家も

楽しくないって言ってた。


「楽しいことなんて何もない」って。

ただ、ゲームし放題で

YouTube見放題だから行くって。




そうだった。




だから止めたんだ。





ニコが言ってた。


「じぃじが

『見すぎだからやめろ』って言っても

ニコニコは無視してた」って。




そうだ。

無視できるから

義実家なんだ。





ちゃんと、見るべきものを

しっかり見よう。




大事なものを

見失わないようにしよう。




ネガティブな言葉たちに

囚われて呪われないように、

深呼吸して、

今日もただのお味噌汁。





夫の表情も違う。


イライラしてない。


やっぱり、夫の「普通」は

物に当たったり

イライラを全面に出す姿じゃない。




夜中に食べた食器が

流しに溜まってて、

ニコが洗ってて、

夫が「ごめん」って。


夫も、自分のことを自分で出きるように

なっていけば良い。





ニコニコがお味噌汁とおにぎり頬張って、

とりあえず、「頑張る」と。



口だけの可能性もあるけど、

お母さんは約束を守る人間。



信じてほしいし信じたいな。






義父の言ったことにも

受け入れるべき点はあり、

全て聞いた上で、

「一理ある」ことや

「大間違い」や

「勘違い」など、精査しています。




なんにせよ、

義父の考えは義父の考えとして

それで良いし、

私の考えを押し付ける必要はありません。




最終的には、

自己中心的な考えの中に

「誰かのため」という

言葉が出てきても、

それは、

本来の意味合いとは

異なるものです。




ただ、そもそも

遺伝的に無理なのか、とか

考え始めると

私がニコニコに対して

可哀想なことをしているのだろうか、

と言う想いにもなります。




が、やっぱり表情を見れば

義父には見えていないものを

ちゃんと見ているという自負もあります。




母親だから、なんて

盲目的にならずに、

しっかりニコニコ自身と対話をして、

ニコニコが真っ直ぐ

私を要らないと言う日まで

きっとあとちょっと。




ひとつひとつ越えてきている。




ここで諦めたら試合終了。




勝ち負けじゃない。




良い【反抗期】にするために

あとちょっとだけ

反抗期風情の自暴自棄に

抗いたいです。