高校生の男の子ママ数人で
お喋りする機会がありました。
「彼女が妊娠した、
とかなったらどうしよう」
「うちは、全然彼女とかもいないし
大丈夫」
「え、性教育とか、
結局学校でしょ?」
「うちは、そういうのは旦那に任せてる。」
「マーチのところは、
どこまですすんでるの?(笑)」
「どこまで?
が彼女なりそうじゃない相手なりと
したとかしてるとかまでは
わかんないけど、
コンドームは買った。」
「嘘でしょ?!
そこまでしてあげなきゃいけないの?!」
「してあげなくていいでしょ(笑)」
「さすがに旦那も
コンドームは買ってない(笑)」
「でも、してるよね?」
「コンドーム?エッチ?」
「どっちも!(笑)」
「何て言って買うの?」
「してるよね?(ゴム)」
「旦那さんと息子君は何て話してて
旦那さんとちゃんは何て話してるの?」
「わかんない。もう、任せてる。」
「えー、放棄ってこと?」
「だって、何て聞いたら良いの?
『性教育、すすんでる?』って?(笑)」
「うちも聞いたことない。」
「(笑)だから妊娠が心配ってこと?」
結局、性教育をすっ飛ばして
妊娠させてしまったら、
と心配をしているという
矛盾を感じるお話だったのですが、
これ、とっても多いです。
どうして教えなくて
身につくと思えるのだろう?
どうして心配なのに
本人とお話しないのだろう?
答えは多くの人が
「なんとなく」
「必要なのはわかるけど」
「どう話せば良いかわかんない」
と言います。
「自分たちも教えて貰ってないし」とか。
「お母さん、彼女が妊娠した」
「お母さん、僕、大学行くのやめて働く」
とかと向き合うより、
今、性・性教育と
向き合う方が
余程精神的負担が軽いと思いますが。
きっと、なんだかんだ言って
みんな「まさか自分が」なのだと思います。
「うちはマーチのとこみたいにできない」
私は、
の彼女が妊娠することも
出産することも受け止め
お話できると思うけど、
逆に今向き合わずに将来の心配まちをする方が
「できない」です。
つづく
また書きます
写真を見て気づく緑の重要性。