ベビーから大人までを対象に、
実際に愛情が不足している人もいると思います。
幼少期の母親を主とした近しい人からの
愛情を得られず精神や性格、
自己肯定といったあらゆる面に歪みを生じた
子どもも大人 いると思います。

が、多くの「愛情不足」と感じる子は、
感受性が豊かで「淋しい」と感じたときの
強い思いがうまく拭えていない子だと思います。

実際には愛されているのに、
愛されていると感じられなかったり
愛されていないと感じていたり...です。






ニコニコが物心ついた頃、私は働いていました。

4歳上の兄の障害のこともあり、
ニコニコと過ごす時間が少なかったと思います。

上二人の赤ちゃんの頃は
夫が単身赴任だったり出張だったりで
基本ワンオペでしたが、
ニコニコの育児には積極的で
任せるところも多かったです。

ニコニコは上二人の遊びには付いていけず、
上二人が我慢するところも多かったので
上二人だけを私がつれて出掛けることも
多々ありました。



この、ベビーの方に寄り添うところが

足りなかったのかもしれません。


もちろん、ニコニコの淋しさは

ベビーではなく幼児期からのものですが。


ニコニコの一番古い記憶は、

保育園に一人残って迎えを待っていたときで、

「一人で家に帰ろうかな」と

思っていたそうです。


私には、いっぱいだっこして

いっぱい一緒に寝て、

いっぱい「大好き」って言った記憶もありますが、

子どもって、強い印象の記憶は強いまま、

他はどんどん薄れて「無い」ものになっていきます。


大人もそうですが、

その頻度や内容量が違います。


理論的に覚えているのと、

頭や心に残って消えないものの違いというか...。





そして、ニコニコの「淋しさ」は、

上二人とママの会話の中に

「僕が入っていない」ことで増していきます。


思い出話や生まれる前のこと、

記憶の無いベビーの頃のこと...。


ニコニコ「僕は?」

ニコニコ「まだ生まれてなかったよ?」

ニコニコ「居たもん!」

みたいな話を、5歳頃よくしていました。


可愛いなぁ、と思っていたけど、

その寂しさが10年近くも

ニコニコの心に巣食うとは思っていませんでした。




末っ子あるあるというか。

実際に、今の状況もそうなのですが。




この夏休み、ニコニコの心に寄り添い

色々なお話をしました。


自分に自身を持つためには

「自分が愛されている自身を持つこと」が

必須条件かもしれません。






どこでも誇らしく咲く