鬼はどっちか?
これ、障害児をもつ我が家としては
度々話題にあがるのですが、
「障害はどっちか」に
つながっていきます。
今はWHOが出している
ICIDHの定義も変わり、
障害は社会にあるといった考え方が
広がっているかと思います。
鬼がただ風体を表したもので内面が異なる場合
鬼であることは障害ではなく、
鬼の暮らしにくい村が障害となっている
という考え方です。
これについては、我が子たちにとっては
当たり前のようになっていて

じゃあ俺が鬼(障害)ってことじゃん?」



みたいなブラックな感じで笑っています。

は診断が出てますが、
は


検査をしていないだけです。
3人とも発達障害かもしれないし、
そんな気(け)はあるし、
でも、実際診断とかどうでも良くて、
自分が困ったり人に迷惑かけたりの度合いで
理解を求めたり悩んだりしていくと思います。
偏見とか差別の殆どが無知によるもので、
本人に原因があって正せるなら正せばいいし、
合わない、知らない、から排他したい
なら関わらなくても良い気がします。
誰かを傷つけることを正当化するのではなく、
お互いに違ったりわからなかったり
知らなかったり...は当然というか。
3人は3人なりに
お互いを知って認めてディスって...。
私は、これを良い形だと思っています。
障害者は弱者になることが多いし
寧ろそういう状況を好む人も多いけど
そうとは限らないし、
迷惑に障害の有無は関係ないし、
同情されるより真っ直ぐディスる方が
同等に扱われて気持ち良かったりします。
今回、子どもたちの話は大して盛り上がらず
誰も悪くない感じでスルーでした。
村人の偏見は、仕方ないもので、
悪者にするには
土俵にすら立っていないと言うか...。
子どもたちの感覚が達観しているようで
私としては力が抜ける感覚です。