馬の耳に念仏
理解できない相手に
一生懸命説いたりお唱えたりしても無駄
と言う意味だと理解しています。
この言葉を
知っているつもりでした。
が、人生のなかで
何度もそんな場面に出くわしたことは
なかったのかもしれません。
私は、この言葉は知っていながら、
相手がまさか馬であったとは知らずに
念仏を唱え続けておりました。
「なかなか届かないな」と感じながら、
いつか届くと信じていました。
私は、相手の馬並みの反応に
いい加減にしてよ...と
言葉を荒らげました。
それは、とても念仏とはほど遠い、
馬でもわかる陳腐で浅い言葉でした。
それだけは理解できた馬は、
後ろ足で私を蹴り倒し、
走り去っていきました。
私は、それでも相手が馬だとは思えず、
次の念仏を考えながら、
いつか念仏の意味を理解しやしないかと
淡い期待すら抱いていたのかもしれません。
随分と日がたったのち、
私は、馬に餌やりをしました。
私は、念仏を唱えたかっただけで
あなたへの憎しみや怒りはないのだと。
あなたを案じているだけだと。
そんなに念仏が嫌だったのなら
ごめんなさい、
もう唱えません。と。
馬は、再び私の近くにきて、
それはそれは馬の目一杯の力で
後ろ足で砂を掛けました。
それはとても寂しく辛く
悲しいものでした。
馬の耳に念仏は、
馬ではなく人間に使うことわざです。
そういう人に
何度も念仏を唱えようとすることを
戒めました。
馬の耳に念仏
本当に無駄なこと
です。