先日、三女の出産前からレンタルしていたベビーベッドを返却しました。
5年前に次女をSIDSで亡くしたあとは、名残惜しくてずっと返却できなかったのですが
今回は全く違う気持ちで、晴れ晴れと返却できました。
赤ちゃんが元気に育つという事は、過去に留まらず、
未来に向かって進んでいけるという事なんだなと感じました。
5年前に次女を亡くした後は、実家に置かせて貰っていた空っぽのベビーベッドを見つめる度涙が出そうでしたが
今回は、小さくなった空っぽのベッドを
三女の成長の証として、全く違う気持ちで見る事ができました。
「かなしみを乗り越える」という表現がありますが、
私は、娘を見送ったかなしみは乗り越えるものではなく
共に生きていくものだ、と思えるようになりました。
かなしみのトゲは時間が丸くしてくれて、心の引き出しに大切に納めたまま生きていけるような気がしています。
三女が生まれてくれたお陰で、次女のことは私の中で
また意味づけが変わり、色々なことを気づかせてくれています。
今の気持ちもいつか忘れてしまうかもしれないですし、
リアルな友達にはなかなか話しづらい話でもあるので
ここに書き残しておきます。
空っぽのベッドを見つめて、涙が止まらなかった日のこと。実家に置いてあった空っぽのベッドやベビーカーを見ると、次女がそこにいてくれるような気がしたこと。
旅立つ時はお金も服も名誉も何も持ってはいけないし、赤ちゃんもお年寄りも同じように旅立つんだと知ったこと。
旅立ちは皆に平等に訪れるけれど、それでも、育たずに旅立つ生命の見送りはなおさら辛いこと。
私は忘れずにいたいです。
生後50日を過ぎても生きている三女と、
ここまで無事に生きて来れた自分の生命に感謝して、
自分の人生をしっかりと生きていきていきたいです。