親と子 | ☆永遠★

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祈りに変えて…


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何日か前の話しですが…

娘から電話があり

「指切った…」

そう言って電話が切れた

何度も、かけ直したけど
出ない

心配になって
22時半くらいだったけど
息子に「見てくる」と言い
家を出た


先月末に
高校の時から、つきあっていた
彼と家を借り住み始めた

来月には籍を入れるらしい


彼は夜勤かもしれないし
知らぬ土地で
物騒だし心配である

そしたらMAILが来て
「薬買いに行っちょった…」と

「電話に出てよ!」とMAILした

MAILは他人でも打てるから
安心しないのだ

そしたら返事が来て

「家事 キツい…」

「 泣きそうだから電話出ない」と


私が21才で娘を産み
隣の市だけど知らぬ土地に来て

「帰りたい…」とホームシックに

少しかかっていた頃のことを
思い出した

当時は携帯など
持ってる人いなくて

友達やら親やらに長電話を
かけていたのを覚えている


そう言えば友達のお母さんは
友達が結婚して
少し遠くへ嫁いだ
その近くへ
引っ越して行った


私の妹などは
家を出て東京へ行ったけど
ホームシックにかった事ない

精神的に強いのもある


私は身体が弱かった為
子供の頃、発作が出ると
朝、病院が開く時間になるまで

長い永い…
苦しい気の狂いそうな夜を
眠れずに座って過ごしたか
わからない

変に甘やかされた部分もあり


離婚した後
私は夜、仕事に行って
祖母に預けられ
布団の中で

「ママまだかな~?」と

いつも待っていたらしく
時計の「カチッカチッ…」の
音が嫌いだと作文に書いていた


子供の頃に…
不安で淋しい暗く長い夜を
過ごすと…

さみしがり屋が
強いのかも?しれない


娘は3才にして
「ママが死んだら私はどうなるの?」

いつも口癖のように聞いていた

弟が産まれてから言わなくなった


子供の頃の親の愛情は
気づかぬところで、影響する

愛情は父親の分まで
注いだつもりだけど

身体が弱かった私は
入退院もよくしていたので
不安だったに違いない

私の母は完全主義者で
病気や風邪、発作出て苦しい時
(`へ´*)怒る

優しくしてくれなかった

妹と
「普通のお母さんは病気の時
優しいよね?」と不満を漏らしてた


だから風邪で熱か出ても
妹は我慢して
なかなか言えなかったと言う

そんな母に娘を預けて
夜、仕事に行ってたから


「婆ちゃん恐いから…」

顔色を伺い
ビクビクしていたと思う


昔の人は愛情ある「しつけ」で
熱血先生も多かった

うちの母は自己愛が強かった

今の親は…

変な愛情での甘やかし
自分の都合での虐待
物さえ与えとけばいい無関心

人のことは言えないけれど(´・ω・`)



育ち…は本当に大切である

だけど両親がいなくても
頑張る子は誰かが誉めて
ぬくもりを与えてくれる人が
一人でもいれば

ちゃんと…育つ


子は親を見て育つと言うが

親のようにならないか?
親のようになるか?

親は子に教えられ

「親」に育てられる気がする