伝えたい③大平洋戦争(第二次世界対戦) | ☆永遠★

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祈りに変えて…



1941年、
日本は真珠湾攻撃と同時に
マレー半島に進撃!

イギリス軍を打ち破りました。

その後、マレーシア独立のために
訓練所を造り、マレー人青少年の
教育に力を注ぎました

訓練生と共に汗を流す
日本人の姿は、マレー青年達に
大きな感銘を与えました。

自分たちの祖国を
自分たちの国にしよう!!

そうした機運が彼らの内に
育てれたのです

さらに日本政府は、
南方特別留学生制度を創設。

アジア諸国独立のため、
指導者養成を目指しました。

日本人教官達は留学生達を、
わが子のように
厳しく優しく指導し

独立を戦いとるためには、
連戦連敗しても
なお不屈の精神を持つことだ!、と励ましてくれた

日本政府は食糧難の中にも、
苦労し留学生の食糧まで集めた

1945年、日本は敗戦しました



日本はアジアのために
戦い疲れて破れた。
今度は我々マレー人が
自分の戦いとして、
これを引き継ぐのだ!

ついに1957年、
日本のおかげで
祖国独立を果たしました。

アジアの国の誰にでも
自分のことのように一生懸命
尽くしてくれた

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日本軍の戦闘機は
世界最強でした

「神の軍隊!」と思った

現在でも強き優しき日本軍は
尊敬され愛され続けています

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インドネシアも同じでした

約350年もの間、
オランダの植民地だった

オランダの行なった
「愚民政策」「貧民政策」――

日本軍がインドネシアに
上陸すると、現地の人は
日本軍を歓迎し、積極的に作戦

彼らの目に日本軍は、
自分たちを解放してくれる

「北方の黄色い強者」と映った

日本軍はオランダ軍を破り
インドネシアに軍政をしきました

その軍政は、オランダの政策とは
大きく違っていました。

それはインドネシア人の自覚を
高め
独立を勝ち取らせることを
目指したものだった

オランダ語に代えて
インドネシア語を取り返してくれたのです


★インドネシア
モハメッド・ナチール元首相

アジアの希望は植民地体制の
粉砕でした。

大東亜戦争は
私たちアジア人の戦争を

日本が代表して敢行した

本来なら私達インドネシア人が
独立のために戦うべき戦争だった

もしあの時
私達に軍事力があったなら

植民地主義者と戦ったでしょう



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