俺は 地震 が大嫌い。
世の中にあれ程恐い物は無いと思ったし、今でも「 阪神淡路大震災 」の事を思い出すと、それ以外の事を恐くないと思える。
正直、地獄だった。。。
キレイゴト、、、
俺も書きました。。。
大きな地震があると大抵の場合は、○○○義援金!となる事が多い。
その度、募金はしてきた。
小銭ではなく、毎月のお小遣いや、電化製品を買える位の額は募金してきた。
キレイゴト・・・と言ってもそれくらいの事はやってきた。
それでも、日々のブログやニュースには「キレイゴト」が多すぎて、内心は白けています。
自分自身のブログ内容も含めて。
本当は”あっち”のブログでこう言う事を書きたかったが、その他にも影響しそうな事が多くて辞めにした。
俺も世間の潮流にのって ”いい人間” アピールしてみた。
「俺には津波の恐ろしさはわからない!」
揺れの事や、火事の恐怖は知っている。
大切な人を失う辛さも知ってはいるが、家族を失う心境は知らない。
あの震災の真っ只中にいた人間でも、実際そんなもの。
逆に、知っているからこそ 「わからない!」 って言えるのかも知れません。
TVやブログで 「被災者の事思うと・・・」 「東北地方の事を思うと・・・」って耳にしたり、目にしたりするけれど、
「それ、ホンマか?」 「本心で言うてるんか?」って言う目で俺は見ています。。。
俺は今回の「 東日本大地震 」で、自分の考えている事がよく判らなくなった。
義援金も送ったし、心を痛めてるのは本当だよ・・・
それでも、バナナ一本の食事を不満そうにしている被災者を見ると「我慢せんかい!」って、少しイラっとしながら「文句言える間は死にはせんわ」って呟いてるし、
「寒くて大変なんです!」って言ってるメディアを見ると、
「本当の事言わんかい! 寒いお陰で 腐臭 が漂わないし、 腐敗 に対する時間を稼げるだろうがぁ?」
「寒いのは神様が与えてくれた、せめてもの贈り物やぁ!」って思ったりもします。
俺も、飯は暫らく満足に喰えんかったもん。
「寒い事」を、遺体安置所の体育館で3桁を超す遺体の前で”感謝”したもん。
そんな”悲惨な真実”を報道しないマスコミと、それを見て一緒に悲しむ人々・・・
正直、自分も含めて内心は白けてます。
で、一番白けるのは 「可愛そうだから何か送ろう」 ッてやつ。。。
「お金」は役立つと思うが、実際は何処に消えて行くのかがはっきりしないのが義援金、
でも「お金」が一番復興への近道やから、とにかく「お金」が一番 被災地 被災者 の為になる事だけは確かだろう。
知人に「お水」「食料」を送る・・・これも個人が特定されていて大変有意義だと思う。
しかし、「援助物資を送りたい!」 と風潮に乗るだけのキレイゴト言ってる連中がいる・・・
俺、こう言う奴とは友達で居れん。
「使わないストーブがあったなぁ~~~」 とか
「要らない毛布があるから送りました」 とか
「着なくなった服があるから送ります」 とか
言ってる人間・・・「人間辞めればいいのに」、って俺は思ってしまったよ。
鬼畜な書き方だけどな、ホームレスの方に(好きでやってない人も多いと思います)物を譲ってあげるのではないんだよ。
被災者の中には、地位も名誉も富もあった人が多く、99%の人間は人からの援助なく生活している人たちのハズなんだ。
「要らない物、着なくなった物」 をあげてどうすんだよ!
「捨てようと思ってた所なので、あげますよこれ!」 って言ってるの同じだろう!
本当に見ず知らずの誰かを助ける気があるのなら、身銭切って”新品”送ったらんかい!?
自分が大切にしている必需品を送ってやれ!
って俺は思うんだ。
「ましてや、避難所の生活を知らない人間が、何を送る!?何が必要なのか判ってんのか!?」
「あの環境を知りえない人間が陣頭指揮とってどうすんだ!?何を基準に決めてるんだ!?」
そう言う人間に限って 「行政」 の批判してやがる! それが無性に腹がたつ!!!
でも一番腹が立つ事は・・・
協力したくなる様な本当の善意 と 流れに乗っかっているだけの善意
それの区別が付きにくく、本物が埋もれようとしている事かな。。。
燃料不足で物も届いていない・・・これは憂慮する事態だが・・・
その分 野次馬 等が入っていけない。
そう、「何か手伝います!」ってのも。言い方悪いが”野次馬部類”なんだよ、今はまだね。
そう言う状況なんだよ、震災って・・・神戸でもそうだったのだから、東北はもっと酷いのだと思う。
地震の予知は現状では不可能に近いから、諦めるしかないねん 「運が悪かった」 と。
行政を責めようが、首相を責めようが、その後の人災を除き、諦めるしかないねん。
あれだけの地震と津波やで、、、、「しょうがないやん!そら万単位の人が死んでまうやろ!」って毎朝、毎晩思ってます。
「食い物が少ない!」って言っている被災者見たら 「文句が言えるうちは大丈夫!まだ一週間でしょ?」って言う風にしか思えない。
本当に「薬」を必要としている方や、死と隣り合わせな方は、そんな事すら口にする余裕もないと思うから。
俺には、東北の寒さと津波の事は・・・やっぱり判らん。
それに”あの辛さ”を知っているだけに 「変わってあげたい」 なんて死んでも思えん!
震災の辛さは今から・・・これからなんだ・・・
身内の遺体を処理して、街の瓦礫がなくなって・・・
だだっ広い焼け野原の様な跡地を眺めて、そこから始めてスタートなんだ・・・
出て行く所がない被災者が、子供たちの学校を占拠する形になり
配給が行き届く頃には、方々で炊き出しが見られ、それに与ろうとする関係ない人間があらわれて
そう言う混乱の中で、暖かい支援も打ち切られて行き、マスコミも報道しなくなって行く。
「ライフライン!ライフライン!」と連呼しているが・・・
被災者の方々は、日常を取り戻した分だけ、本当の闘いが始まる。。。
僕らにできる事は、日常を今まで以上に過ごして、お金を回す事!
そして 「 自分達は部外者なんだ! 」 と言う事を自覚する必要がある。
ああ言う震災の傷跡は・・・そんな生半可な物ではないと思う。
僕にも、想像できません。
何より、もう思い出したくもない。
とりあえずは、あの寒そうな避難所の床に「お布団」が届けばいいなぁ♪と思う。
だだっ広い体育館に間仕切りができればいいなぁ~と思う。
お年寄りや幼児を含めた 弱者 の方の為に、一秒でも速く援助の手が届く事を祈っています。
現実的に気がかりなのは 「あの広大な被害を受けた地域」 ですね。
「神戸」は・・・隣接する「市」等を含めると、あんなに狭いエリアで300万人を超える人々が生活していた。
新幹線、高速道路、等の大動脈も切れた。
だから、復興せざるを得ない地域だったんだ。
でも、東北の自然豊かな地域に起こった悲惨な惨状を見ていると、こう言う「過疎地域」に、どれだけの支援と愛情が注がれるのだろう・・・と心配にはなる。
俺は・・・「神戸」で運がよかったよ。
でも、「神戸っ子」として、東北に仮設住宅が立ち並ぶ頃に・・・
引越しのボランティアにでも行きたいと思っている・・・
今駆けつけるだけの、知識も技術も持ち合わせていないしね。