大田市温泉津町小浜  西念寺・ゆうゆう館前 ちょっと珍しい物が有ると言うので立ち寄った。 説明板に奥津彦命・奥津姫命・軻遇突智命を祀る神社とのこと。長く急なゼイゼイ登ると、突き出た丘陵天辺の狭い敷地(境内)に、なるほど小さな社殿と鐘楼堂がある。

 

 この<愛宕神社>は、永禄元年(1558)に、上総国(千葉県)の僧・智岡禅師が、時や急を鐘を告げるための鐘を造りここに草庵を結び、勝軍地蔵と秋葉権現を祀った<鐘撞堂>が始まりだ。後の享保4年(1719)に、小庵を改修した折りに、三神を祀り<愛宕神社>と改名したと言う。以来長く火伏の神社とされてきた。

 

 町や港に向かう標高32メートルの小高い<愛宕山>は、時を告げ急を知らせる鐘楼には打って付けの場所だ。除夜には鐘が響くという。振り返ると見事な温泉津港と町並みの光景が広がる。晴れた日などの見晴かす町・海・空の眺めは絶品だ。

 

 珍しい物とは、この鐘だった。明応6年(1497)に隠岐郡海士町の後鳥羽上皇縁の寺<源福寺>に奉納された物(銘文から)だったが、 豊臣秀吉の朝鮮出兵の時拠出され、後の返還の際、ここに誤送され今に至るのだと言う。変換交渉などが有った無かったのかなどは知らない。

 

  尾根の奥に続く細い道は、当時の交易港・沖泊に向かう。現在は道路が出来て寸断されているが、味わい深い道だ。ただ、手前辺りは道を熊笹が被い苔むして滑るので、ゆっくりで要注意だ。

 

 境内の隅には温泉津の発展に貢献した石見銀山初代奉行・大久保長安の逆修塔がある。<逆修塚・塔>は、当時生前に造った墓はご利益が多い(大きい)とされて、温泉津の発展に尽力した長安は、石見で温泉津と大森に三ヶ所(いずれも再建)造った。

 ※ 元記事 2006.11