老子 道徳経 下篇

第47章

 
 

「今ここ」を愛でてみて


原文

ブーチューフーヂーティエンシア
ブーオイイオウジエンティエンダオ

不出戸知天下   不闚牖見天道。

チーチューミーユエン チーヂーミィシャオ

其出彌遠   其知彌少。

シーイーションレン  ブーシンアルヂー

是以聖人   不行而知

ブージエンアルミン  ブーウェイアルチョン

不見而明   不為而成。

 



書き下し文
戸を出ずにして天下を知り、
窓を覗かずして天道を見る。

出ることがいよいよ遠くになるほど
知ることはいよいよ少なくなる。

これを以て聖人は、行かずにして知り
見ずにして明かし、為さずにして成す。









遠回りしなくてもここにある

 

アメ語訳

今日は、自動車は停めて
散歩しながら世界を感じてみて。

今日は、スマホは置いて
天気予報を身体で感じてみて。

自分の本体から
どんどん離れれば離れるほど
理解出来ることは少なくなるから
本来の感覚のままでいて。

ホームからどんどん離れて
アウェイを目指そうとするのは何故?


タオイストはね、
世界一周旅行をしなくても世界を知るし
SNS を見なくても流行りに乗れるし
うまいこと日常生活を満喫しています。


Translated by アメ
氏神神社 にて



 

 



アメのフタコトミコト

原文のまま解釈すると

引きこもり生活のススメみたいになる。

(それはそれで、極まってておもしろい。)


とはいえ、今時は

インターネットがあるので

引きこもり在宅生活をしていても、

外的な影響を

過剰にも取り込める時代となり、


別に理解しなくていい範囲までを

理解しようとして疲れる人もいるかと。



芸能人のスキャンダルとか

わたしの日常生活に支障はないし、

わたしは芸能人でもないから

わざわざ理解に苦しもうなんてしない。


そんなことより、

今夜の夕飯はなにを食べようか。








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