「蝶のゆくえ」 橋本 治


A Piece of Mars




「桃尻娘」に見られる軽妙な文体とは

全く趣きを異にした短編小説集です。


それでも、女性の感情の機微を表現していることには

変わりがありません。





   でも女達は、みんな自分の中の「女」というものを

   押し殺している。

   全開にして、押し殺しているつもりなどないのに、

   どういうわけだか、解き放つのに失敗をしている。



   通りのいい「それまでの自分」に飽き足りなくなって、

   突然に「自分」という衣装を脱ぎ捨ててしまう。

   「どうせ女は女なんだから、それまでの

   ”未熟な自分”という女を脱ぎ捨てたって、

   その後は”成熟した自分”という新しい女が

   姿を現すだろう」と思って。

   でもあいにく、「それまでの自分」を脱ぎ捨てた後に

   登場するのは、妙にドロドロしたなにかか、

   妙に硬直したなにかだ。



                    「ほおずき」より。





それぞれの話に登場する女の誰もが、

女でいること、女として周囲と対峙していくことに、

ほんの僅かな違和感を感じています。


もしかしたら、彼女たちは、その違和感すら

気づいていないのかもしれない。


それは、自分が女であることの諦めなのかもしれないし、

自分が女であることの容認なのかもしれない。




ちょっとそぐわない例えかもしれませんが、

女性には「生理」というものがあります。


これは、好むと好まざるとにかかわらず、

女である以上、受け入れなければならない

女性にだけ起こる体の変化です。


女性の殆どが、生理を鬱陶しいものと思っています。


だけど、周期的に自分の体に起こるそれについては、

諦めなのか、容認なのか、当の女である私も、

よくは分からないけれど、

大方の女性は、受け入れています。



女が何かの折に感じる感情の、

とても微妙な襞のようなもの。


自分でも、何と表現していいか分からなくて、

モヤモヤしたりするもの。


それは、さながら女のまわりをヒラリと飛ぶ

「蝶」のようでもあり、

その蝶を捕まえたくても捕まえられずに、

女たちは、ジリジリとするのかもしれません。



橋本治という人は、女性自らが捕まえられない「蝶」を

とても上手に捕まえられることの出来る人なんだな、と

この本を読んで、感じました。