鹿児島市にある仙厳園(せんがんえん)は、薩摩藩主島津氏の別邸跡です。

仙厳園には、全国でも珍しい猫を祀った神社があります。

仙厳園の奥の脇道を入った所に猫の神様を祀る猫神神社があります。

猫神神社には2匹の猫が祀られています。

文禄・慶長の役(1592~1598年)の時、第17代島津義弘公によって7匹の猫が朝鮮につれて行かれました。

時計の無かった時代、朝鮮につれて行った猫は、時計のかわりでした。

猫の目は明るさで大きさが変わりますが、猫の目の瞳孔の開き具合を見て、時刻を推測したとのことです。

7匹の猫は、それぞれの陣営に猫時計として置かれ、出撃の合図の際に役立ちました。

7匹のうち、5匹の猫は戦死してしまいましたが、2匹は生還しました。

朝鮮から生還した2匹の猫を祀っていることで、猫神神社と呼ばれるようになりました。


生還した猫は茶白の茶とら猫と三毛猫でした。

その時生き残った猫が義弘の二男である久保(ひさやす)に愛されたことから、鹿児島では茶トラのことをヤス猫と呼ぶようになりました。
昔、実家で飼っていた猫もヤス猫でした。

義弘は大の猫好きであったといわれています。

無事、帰国を果たしたヤスとミケという猫たちが他界したときには、猫たちのために通称・猫神社を作りました。

息子の久保(ひさやす)は21歳の若さで1593年朝鮮で病死。

久保も可愛がっていた猫への愛情と戦役で戦死した猫にも思いを寄せ、猫を神として祀る猫神神社を作りました。

猫神様に御賽銭を上げて我が家の猫、小太郎、まりん、美怜ちゃんの健康と長寿を祈願しました。

 

島津義弘は勇敢な武将として鬼島津と言われ知られていました。

文禄・慶長の役から2年後の1600年、徳川家康と明智光秀が東軍と西軍に別れて戦った「天下分け目の戦い」と言われた「関ヶ原の戦い」がありました。

西暦、1600年、10月21日、東西20万人が激突した戦いは午前8時から午後2時までの6時間で終わりました。

島津義弘は豊臣方の西軍として参戦しました。

始めは優勢であった西軍でしたが戦況が不利になり、撤退を余儀なくされました。
義弘は徳川方の敵中を突破して薩摩に帰りつきました。

鹿児島城下の武士たちは苦難をしのび、いつからともなく妙円寺詣りとして参拝するようになりました。

妙円寺詣りは江戸時代から続く鹿児島の三大行事です。

「関ヶ原の戦い」のあった10月には鎧冑に身を固めた勇壮な武者行列が鹿児島市から義弘公が祀られている日置市の徳重神社まで妙円寺詣りの歌を歌いながら行軍します。

島津義弘は勇敢な武将として知られていましたが、部下にも思いやりがあり、愛妻家であったと言われています。

猫が大好きで亡くなった猫を神として祀り神社を作った義弘公の優しさが偲ばれます。

猫神神社では6月10日の時の記念日に、猫長寿祈願と供養祭が行われています。

 

猫神神社

 

2匹の猫を祀った祠
 
猫神様の横には、訪れた方が飼っている猫の健康と長寿を願い書かれた絵馬がたくさん飾ってありました。
 
ヤスとミケの絵馬
 
猫神神社の横にある迫ン太郎(さこんたろ)
迫ン太郎は水の流れを利用した米つき機で、玄米を精米するために使われていました。

 

 
猫神神社の近くにある猫のお店
 
猫の置物などが所狭しと並んでいます
 
猫オーケストラ音譜
 

猫神社前の紫陽花

 
猫神神社のお店で買ったみれいちゃんに似た三毛猫の箸置き
 
美怜ちゃんと三毛猫の箸置き
 
お昼寝中ぐぅぐぅ
 
ヘチマの歯みがきで遊ぶみれいちゃん
 
 
青空とまりん
 
畑作業の監督をする小太郎
 
仲良く猫草を食べるまりんと小太郎