お悔やみ申し上げます。
たびガエルはこう思っている。ということを書いときます。
たびガエルは、
もし明日両親が死んだとしたら、
落ち込むし、
悲しくなるし、
寂しくもなると思いますが、
同時に、
「立ち直れない」不安はありません。
もし妻と子どもが明日死んだとしても、
泣くし、
寂しくて、
落ち込みますが、
同時に、
また「自分の人生」を
生きていく自信があります。
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逆に、たびガエルが明日死んだら、
両親に悲しんでほしいと思いますが、
同時に、
「ずっと泣くのはやめてくれ」って思います。
妻と子どもにも悲しんでほしいと思いますが、
同時に
「ずっとそれにとらわれないでほしい」とも思います。
たびガエルは
大切な人が死んだら
一旦メチャクチャ落ち込んで悲しんで泣きます。
めいっぱい悲しんだら
「立ち上がって、自分の人生歩きます。」
たびガエルが死んだら
一旦悲しんでほしいっす。
そしてめいいっぱい悲しんだら
「とらわれないで、自分の人生歩んでほしい」
人は死ぬ。
動物も
植物も
犬も
馬も
まぁ、死ぬ。
いつでも
誰の身にも起こる。
始まれば、終わりがある。
出会えば、別れがある。
と同じように、
生まれたら、死ぬ。
死なない人は、
もう人じゃねーな、それ(笑)
こえーよ(笑)
死はあたりまえだから。
死んだら悲しい。
それは自然なこと。
たくさん悲しいし、
たくさん泣く
ちゃんと悲しんだら
立ち上がる。
また、
歩き出す。
そして
人生を楽しむ。
人間って
悲しくても、
めいいっぱい悲しむと
ムクッとたちあがる。
人の感情はちゃんと感じると消えていくから。
10代20代のころ
恋人と別れたら、
一旦は悲しい。
この世の終わりかってぐらい悲しい。
でも、めちゃクチャ悲しんだら、
ムクっと立ち上がって
次の恋に歩き出す。
それと似てる。
何かを失って
ムクっと立ち上げれない。
ずーーーーーーーっと悲しいままなら、
それはもう悲しみじゃない。
人間の感情にずーーーーっとはないから。
それはもう
「悲しみ」に似せた
「逃げ」だなー。
「逃げ」は
「怖れ」と「怯え」から生まれるから
なにかを「怖れ」て
何かに「怯え」て
いることになる。
「悲しみ」自体が怖かったり、
「悲しみ」自体に怯えていたりしたら
ちゃんと悲しめなくるし、
自分をごまかすし。
誤魔化し方は二つしかない。
すっごく強がるか
すっごく不安がるか。
強がる人は「ポジティブモンスター」になるったりするわなー。
・ホメる
・笑顔
・前向き
そんなポジティブなもので自分の中の
「怖さと怯え」から
「逃げ」るために
「悲しん」でいるフリをする。
不安な人は、まぁいつも不安でいるなー。
「怖さと怯え」に
「勇気」出して
「向き合う」ことから
「逃げ」るために
「悲しん」でいるフリをする。
悲しんでも悲しんでも悲しんでも、
ずーーーーーーっと
悲しみが消えないなら、
「怖くて怯えているもの」から
「逃げる」ために
「悲しい」フリを
選んでいるのだから
ちゃんと悲しもう。
めいいっぱい悲しもう。
自分が悲しいんだから。
ちゃーんと、悲しんだら
消えていくから。
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