自分を認められない。

自分を責める。

自分を否定する。

 

 

どこからなんだろう?

いつからなんだろう?

なんでなんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いまでは

 

ない。

 

 

未来でも

 

ない。

 

 

ってことは、、

 

過去にしか

 

ありえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

母親に愛されて育った。

愛されすぎるくらいに。

愛ゆえに、心配してくれる。

お母さんの言ってくれることは守らないといけないと思った。

お母さんは間違ったこと言わないし、言うとおりにしていれば、大丈夫だからだ。

自分の気持ちは横に置いて、お母さんの言うことを優先していくクセがつく。

そのうち、お母さん以外の人のいうことも優先するようになる。

「自分の気持ちは蔑ろ、他人を優先すればうまくいく。」って根っこがはえる(前提)

 

 

他人と自分をいつも比較するようになる。

お母さんが「なんであんたはもっとできないの?」という。

「自分の気持ちを蔑ろにして、他人を優先」って根っこがあるんで、

他人よりできない私が悪いんだと思う。

自分は、他人よりダメな人間だから、お母さんは認めてくれないんだと思う。

お母さんに認められないと、居場所がないように感じた。

居場所をつくるために、お母さんの言うとおりにした。

居場所をつくるために、他人の言うとおりにした。

言うとおりにするたびに、それにこたえられない自分はダメなんだと思った。

 

 

目の前に男(旦那)が現れる。

こんな自分と結婚してくれるんなら、この人に合わせようと思った。

こんな自分の居場所になってくれるんだと思った。

こんな自分ためにこの人はいてくれるので、この人に尽くさなければいけない。

自分の気持ちより、この人の気持ちを優先する。

 

 

こんな自分にも子どもができた。母親という居場所ができた。

こんな自分でも子どもは必要としてくれている。自分が認められている気がする。

「母親として」「親として」という居場所を守るために子どもに口だししたくてしょうがない。

この居場所を守るために、自分の気持ちは蔑ろ。 

日々不満が溜まるが、不満をぶちまけたら「居場所がなくなる」ので我慢。

夫は、あなたが我慢してることは知らない。

夫は、あなたがイヤだといわないので、好きでやっているのだと思っている。

夫は、時々イライラしているあなたがなんでイライラしているのかわからない。

あなたは、大切にされていない気がする。

でも、こんな私と結婚してくれた人に負い目があって、気持ちを言えない。

 

 

子どもの成長とともに仕事に出るようになる。

なぜか、ひどい扱いを受ける。どう考えても理由がわからない。

勇気を出して、立ち向かってみる。

一時、働きやすい。言ってみるもんだとうれしく思っていると、

もっとひどい扱いを受けるようになる。

やっぱり自分は 思ったことを言ってはいけないんだと思う。

わたしさえ、我慢していれば、うまくいくんだ。と思う。

ここにも居場所がないと感じる。私はいくつになってもダメな奴だと思う。

家で、仕事のことを話すと、お前が悪い。お前が変わらないからだ。みたいなことを言われる。

やっぱり自分が悪いからなんだと思う。

 

 

仕事辞める。

新しい仕事はじめる。今度は同じような失敗はしないように周りに合わせようとする。

まじめに仕事をやっているだけなのに、また同僚から責められる。

自分が悪いんだと思う。相手のこと考えない自分が悪いんだと思う。

八方ふさがり、もうダメだ。どうすればいいのかわからない。

 

 

 

たびガエルにであう。

ブログを読む。 

自分にピッタリ当たりすぎて、全米が驚愕する。

モニターのセッションに申し込んでみる。

自分のことが理解できて、丸裸になった気がして、怖くて逃げる×3回

やっと、自分と向き合う。自分がないがしろにしてきた気持ちと向き合う。

ぞわぞわ変な汗でびっしょりになる。

でも、なんかスッキリする。

これはたびガエルさんにお礼をしないと!

そうだお礼をしようー(≧▽≦)!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あざーっす(≧▽≦)!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フィクションだったり、

史実だったり、

あなたの物語だったり。

 

ですかね(*´꒳`*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさてさーて、たびガエルです。

 

 

この物語、

 

あなたも、わたしも

 

向き合うべきは、どこか?

 

どうすればいいのか?

 

 

対処的にではなく、

根本的に。

 

 

 

「ばいきんまん」が

「アンパンマン」に勝つためには、

 

 

パン工場を壊すか、

ジャムおじさん壊すか。

 

ってのは、

わかる。うん。

(ばいきんまんは、

アンパンマンに勝ちたいわけじゃないらしいね。共依存)

 

 

 

複雑に見えちゃう出来事も

実は、とってもシンプルな構造。

 

 

 

ココロも同じ。

複雑に見えてもとっても

シンプル。

 

 

 

 

向き合うべきは、

 

 

この色のところね。

 

 

ここが、根っこ

 

根本。

 

 

 

 

そして、現実の悩みは、

 

この色のところがまさにそう。

 

 

枝や葉っぱや果実。

根からいくらでも生えてくる。

 

 

普段私たちは、これを

を何とかしようとするけども。

 

 

これを解決しても、

また同じような出来事が

人生で起きる。

起き続ける。

 

 

根っこを変えない限り、

いつまでも同じ枝や葉っぱや果実が育ち続ける。

 

 

この果実のこと、

 

 

 

「禁断の果実」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って言います。

 

 

 

 

「禁断の果実」に何かしても全く意味ないことがほとんどです。

まじで。驚くほど(≧▽≦)!

 

 

そして、

この「禁断の果実」のために何かしようとすることを「逃げ」と「隠す」といいます。

 

 

今までの人生でずっと「禁断の果実」のために何かしようとしてきた人を「逃げてきた人」・「隠してきた人」っていいます。

 

 

これからも「禁断の果実」のために何かしようとしてる人は「楽園」を探し続けて、地獄を見ます。

 

 

「禁断の果実」を何とかしても無駄なんです。

 

 

ホントにムダ。

 

「禁断の果実」が実った時点で、

地獄です。

 

刈り取っても、刈り取っても、

実るのは、

「禁断の果実」です。

 

そして、

「禁断の果実」は刈り取れば、刈り取るほど、

罪悪感が生まれます。

 

 

「もっと、相手の立場になれれば、こんなことには。」

「もっと、相手の意図を汲めれば」

「もっと、言ってくれたことを聞いておけば。」

「もっと、相手のためにできれば」

 

 

これ、どこから来るの?って

 

「自分の気持ちにフタをして、他人を優先」

 

って根っこからです。

 

どうせ自分なんて、

わたしなんか、

やっぱりこのままじゃダメなんだ。

 

はこの根っこから生まれるので、

 

 

向き合うべきは、ここ

です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もし向き合い方が知りたい方は、

 

 

こちらへ「ひゃっほ~」とコメントください。

ワークをお教えします。

 

 


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