昨日ヨメさんから、

 

 

 

 

『昔は毎日、

顔合わすたびに

「愛してるよ」って

言ってたけど、

最近全然

言わんくなったね~』

 

 

 

 

って言われました。

 

 

 

 

 

『えっ?そうだねぇ…』

 

 

言われてみれば、10年前は一日に何回も言ってたなぁニコニコ

嫁さんに言われて思いだした。

 

 

 

 

 

さてさてさーて、たびガエルです。

 

 

最近、「愛してる」っていってないなー。

 

 

 

子どもが産まれると言わなくなるってのもあるかもしれないけど、

 

 

10年前のたびガエルは、「愛してる」って

 

 

確認のために言ってたなぁ。

 

 

人から愛されるってのが信じられなかったしねぇ。

 

 

 だから、とにかく怯えてた。

 

 だから確認、

 

 

「愛してるよ」

 

「わたしも」

※のろけではない。

 

 

(よし!大丈夫(≧▽≦)

って具合。

 

とにかく確認したかったんだねー。

 

 

 

 

 

 

愛で、

血痕で、

夫婦で、

婚姻っていう

契約で

つなぎ留めたかった。 

 

 

 

 

 

「愛してるよ」が 

 

 

 

自分っていう人間の、

存在の承認や許可制のためだったんなぁ。

 

 

 

今は、

確認する必要もないし、

そもそも執着しなくなったけど、

 

 

あの頃は、

人から愛されるのが信じられないって、

自分を信じられないからだったんよなー。

=自信ないから、確認するんよなぁー「愛してるよって。」

 

 

 

自分が自分を受け入れられてないから、

他人からも受け入れられないって思ってたんよな。

 

 

 

 

 

そして、

自分の存在の承認を人に委ねてたんよなー。

 

 

 

人に依りかかることで、自分の存在を証明しようとするって、

依存よね。

 

 

嫁さんに依りかかることで自分が存在してもいいってこと確認して、

自分と向き合うことから逃げてたんよねー。

 

 

仕事とか

お年寄りとか

すたっふとか

に。

 

 

そして、

存在証明に使ってたんよなー。

 

 

他人からの評価で、

自分の評価が決まると思って。 

 

 

他人との比較で自分を保ってたわね。

 

 

そうやって

他人を使って、

自分の存在の証明にしてると、

 

 

他人の言動に振り回されまくって、

感情の浮き沈みに振り回されまくって、

 

 

まさに、奴隷だったわー。

 

 

 

そうやって、

自分自身を問題視してたのは、

いつも自分だったと。

 

 

自分自身を許せない、

受け入れられないのは、

いつも自分だったと。

 

 

 

 

 

 

自分で自分を受け入れるって言うのは、

自分のいいところを見よう、

長所を伸ばそうとか、

そういうエセポジティブじゃなく、

 

 

 

自分の負の感情もネガティブな自分も、

悲しみも怒りも全部ありのままに感じることからだと思う。

 

 

 

感情に振り回されてフタをすると、自分の存在が薄くなる。

(みそ汁のみそが薄い。みたいな)

 

 

 

 

 

他人に自分の存在を濃くしてもらうことはできないよ。

(具をいっぱいいれて出汁が出ても、みそが薄いのは、変わらんもんなぁ)

 

 

他人を愛す前に、

自分を愛そう。

 

 

愛するって、

受け入れることだと思うよ。

 

 

受け入れて自分を愛したら、

 

周りを愛そう。

 

そして、

周りを受け入れよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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