もしものことって考えたらきりがないですよね。
でも、その分岐点でもしもの道に進むことができるのなら、こんなふうに変えたい、という気持ちは誰も持っているのではないでしょうか?
そんな非現実的なことを言っている方がおかしい、と考えている方もきっといるでしょう。
「現在の、曲げることのできない現実を、事実を受け入れなければならないのだ」その人たちはきっとこのように思うはずです。
でも、僕はそのような考え自体が強い自己満足のようなものであり、自身を抑制する鎖なのではないかと思います。
もしもこうだったら…
あんなことをしていなければ…
ぜんぶを悩み抜けば良いと思います。
とてもつらく、気の重い作業かもしれないけれど、しっかり悩んだという事実が、いつか似たような場面で決断するときの教訓にできるのです。
そんなことはやっていられない、きれいごとだ。
多くの人はそのように思うかもしれません。
でも、きれいなことだからこそ、きれいごとと言えるのです。
自分の信じたきれいごとをきれいなまま実現できる、そんな社会を僕たちは作っていくべきなのではないでしょうか?
乱文乱筆失礼しました。
ダメガエル。