なんどかmixiの日記にも書いたことがある内容を毎年この日に思い出す。
長崎へ原爆が投下された日。
九州に住んでいる自分たちは色々と思うところがある。
特に戦前から祖父・曾祖父が北九州に住んでいた人間は尚更でしょう。
有名な話だけど、元々長崎へ原爆が落とされる予定では無かった。
北九州の八幡へ原爆投下することが計画の第一目標とのことでした。
原爆投下されていればそもそも私はここにいないだろうし、いたとしても後遺症を含めて後世のにも影響があり常に被爆という恐怖と戦いながら生きていくという道を歩んでいたと考えます。
『落ちなくて良かった』なんて不謹慎な事も子供の時には思ったのも思い出されます。
祖父は八幡製鉄所近辺の警備を当時していたそうです。
銀色に光るいつも焼夷弾を落としてくるB29が曇り雲の隙間から見えたそうです。
その数時間後長崎に原爆が投下されたのです。
祖父早く無くなり実際には面識はありませんが亡くなった祖母から「長崎に関わらず多くの人の命の犠牲の上に生かされているんよ」という言葉はかなり印象深く覚えており歳を経ることで更に実感が沸いてきます。広島・長崎にてお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。