ゲイ占い師 豫 空潤です。

 

毎年、8月になると戦争追悼番組が放映されます。

今年は、沖縄の本土復帰50年で、沖縄戦を扱ったものが多いです。

 

NHKBS1ドキュメンタリー「沖縄戦争孤児」を観ました。

 

1945年4月1日 米軍が沖縄島に上陸作戦開始。54万人の兵士が投入された。

 

当時「民間人は攻撃されない」とは、誰も思わなかったし、実際に殺された民間人は多数に上った。

 

日本軍とともに敗走する住民は、防空壕や洞窟に避難したが「泣き声で米軍に気づかれる」という理由で、外に出され、死なせてしまった赤ん坊もいた。

 

敗走する途中、怪我や病気で動けない者は、置き去りにされた。

 

沖縄戦を生きた80代の県民は「最後は、人間は自分が大事。家族でも見捨てた」と言う。

 

爆弾の破片が腿を貫通した少年は、途中まで大人に背負われたが、米軍が迫ると途中の集落に置き去りにされた。

その直後、米軍は家々に火をつけて回った。怪我で動けなかった少年は焼死したらしい。

 

同年6月23日沖縄島南端の摩文仁で司令官が自決し、日本軍の組織的戦闘が終結。

 

米軍は沖縄各地に収容所を設置。30万人を集め、孤児院に入れた。

 

終戦の8月15日、沖縄を占領した米軍は、孤児について「親類が見つからないなら、親切な家庭に世話してもらう方が良策」という方針を打ち出す。

 

新聞に孤児の名前と年齢を載せると、はぐれていた家族が出てくることもあった。戦災で失った働き手の代わりとしてもらわれていった孤児もいた。

 

ある孤児は「孤児院に大人たちがたくさん見に来て、動物のように、気に入った子を連れて行った」と話す。

 

沖縄戦災孤児3000人以上だった。

 

戦災孤児の中には、80代の今、子供や孫に恵まれ、穏やかに暮らす人もいる。

 

しかし、浦添市の路上生活者支援担当者は、今から14年前、テント暮らしの男性と出会い、その男性がコザ孤児院を出てからずっと独り暮らしだと聞き、驚く。

 

文字も書けない、本名もわからない、戸籍もないというその男性は、一旦はホームレス者用の施設に入るが、後にいなくなってしまった。

 

番組に出てくる80代前後の男女の元孤児たちの中で、最も衝撃的なのは、やはり「チャーリー」だ。

 

チャーリーとは、1945年当時推定年齢2歳。コザ市の路地にひとりでいるところを米軍兵士に見つけられた男児。頭から首にかけて怪我を負っていた。「チャーリー」と名付けられた。今、推定年齢79歳で独り暮らし。

 

戦後まもなく、子供のいない夫婦に引き取られ「長信」と名付けられた。

その夫婦を実の両親と信じて育ったが、その夫婦に子供ができると、

「実の子と扱いが違う」「殴られ、蹴られても、しがみつくしかなかった」と言う。

 

7年後、チャーリーの肉親に違いないという人が現れ、家の跡継ぎとして「秀光」という名で迎えられた。しかし、実際はきつい労働が課せられ、学校に行くと、その時間働かなかったという理由で樫の木で気絶するほど殴られた。

 

1984年(推定年齢41歳)の時、テレビ取材を受け、「秀光」は、まったくの他人だったことが露見する。

 

一方で、そのテレビ取材を見て、ある女性が名乗り出る。「この子は宮城文吉だ」と。

 

迎えられ、宮城家を訪れたチャーリーは、宮城文吉と自分が同年齢で、米軍映像に残る孤児だった自分が他の子より太っていたのは、裕福な宮城家に生まれ育ったせいだと推測し「自分は宮城文吉だ」と確信する。

 

宮城家親族一同がお祝いの宴を開いてくれた。が、その後、宮城家の人々と気持ちがすれ違い、疎遠になって35年。

 

亡くなる前に、もう1度確認したいと考えたチャーリーは、宮城家と撮った祝宴の集合写真の中で、文吉の叔父宮城秀郎さんが生存していると知り、会いに行く。

 

しかし、秀郎さんは、文吉さんを囲んだ祝宴を覚えてなければ、戦時中生まれの甥がいて行方不明だという点も「知らない」と言う。「文吉」という名前も聞き覚えはないと言う。

 

だが、チャーリーの「自分は宮城文吉だ」という思いは揺らがない。秀郎さんと背丈が一緒で「双子みたいだ」と言って笑い、取材班に対して「めでたしめでたし」と話す。

 

番組前半では、チャーリーは「怒り」と「不信感」で、ずっと眉間に皺をよせていた。が、番組の終わりのチャーリーの顔は緩み、穏やかな表情になっていた。

 

「覚えていない」と言いながらも連絡先を交換してくれた秀郎さんと、これからの付き合いを承諾してもらったからだ。

 

チャーリーは、「1番許せないのは、孤児院から人の子を勝手にタダで他人に渡されたということ」と、険しい口調で話す。

一方で、「自分は宮城文吉だ」と確信することで、心の平安を図ろうとしているように見える。

 

 

2017年12月、僕と同棲する日本人ゲイ男性Tommyは、沖縄旅行しました。

美ら海水族館もきれいでしたが、やはり、首里城(火事になる前)と、ひめゆりの塔が忘れられません。

 

その首里城の中に入ると、僕もTommyも、急に具合が悪くなりました。何とか観光を続けましたが、記念に撮ったTommyの顔が真っ赤に写りました。(肉眼では何ともなかったのに……)

 

ひめゆりの塔記念館の中では、戦時中のフィルムが上映されている間、僕の左隣には確かに誰かが立っていたのに、明るくなった途端に、誰もいなくなっていました。沖縄戦で亡くなった方が一緒にフィルムを観ていたのでしょうか。

 

旅行中にそんな体験をしたのは、国内外を含めて、沖縄だけでした。

 

僕(東北生まれ)も、Tommy(愛知県出身)も、本土の人間。

 

沖縄で亡くなった方たちは、今も首里城やひめゆりの塔にさまよい、本土の者に、何かを訴えようとしていたのでしょうか。

*怖かったとは思ってません。機会があれば、また沖縄に行きたいです。

 

さて、今日のゲイタロットです。

↑「剣の7」リバース(逆さま)。見やすくする為に正位置で貼り付けてます。

 

スケートボードに乗る男性が封筒を落としています。

焦ったり急いだりすると、思わぬミスをしがちです。

 

↑「死」正位置。

若者がお墓の前でうなだれています。

誰かの死を悲しんでいるようです。

 

しかし、死は誰にでもいつか起こること。

木の葉が散るように、何事もいつかは終わるのです。

 

2枚を合わせ読むと、

あなたは、何かを予想より早く失いました。

しかし、落胆する必要はありません。

 

顔を上げ、周りを見渡しましょう。

あなたには、まだまだ可能性があるのです。

 

失ったものや終わったことに執着せず、新しいものやことがらに目を向けましょう。

きっと、新たな世界が開けます。