ゲイ占い師 豫 空潤です。

 

僕は、毎日テレビを観ていますが、ニュース以外は、録画してから観ています。大半がNHKです。民放が嫌いな訳ではありませんが、年齢を重ねるにつれ、NHKの番組内容が好きになるのです。

 

最近、NHKBSで「NHK特集」を再放送しています。1970年~80年代に放送していたドキュメンタリーです。

先日観たのは、「再会~35年目の大陸行」いわゆる中国残留孤児問題です。

 

平成生まれの人の為に説明すると、

1932年~1945年、中国東北部に、満州国という国がありました。と言っても、国際的には承認されない国です。

当時の日本軍部が、事件をでっちあげ、1度滅びた清国の皇帝を担ぎ出して、中華民国(現在の中国)から無理やり分離独立させたのです。

 

*現在のウクライナ情勢とそっくりです。ロシアはウクライナの一部を独立させ、ウクライナから分離させようとしてますよね。

 

当時の満州国は、漢民族・満州民族・朝鮮民族・蒙古民族が住んでいました。日本政府は、そこに日本人を移住させ、五族協和(漢・満・朝鮮・蒙古・日本の5民族協和)を満州国のスローガンとしたのです。

 

しかし、五族協和は名前だけで、実権は日本陸軍が握っていました。旧清国皇帝の愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を皇帝(執政の時もあった)にしていたが、溥儀(ふぎ)の自由になることは何も無かった。例えば、満州国独立式典で、溥儀は清国皇帝の龍の衣装を身につけたかったが、日本陸軍に軍服を着せられ、逆らえなかった……。

 

庶民の間でも、五民族平等とは言えませんでした。日本陸軍は、中国東北部の農民の土地を買いたたき、日本からの移住者に与えた。

日本からの移住者は「何も知らなかった」状態で入植した。が、住んでから、近隣の貧しい中国人たちの犠牲の上に、日本人が裕福な暮らしをしていると気付いた。そして、中国人たちが日本人を恨んでいることが、わかったのです。

 

前述の溥儀(満州国皇帝)は、即位後、同胞の満州民族などから、「日本人だけが優遇され、他の民族は冷遇されている」という訴えを聞き、激怒して、是正するように指示したが……お飾りの皇帝の言うことなど、誰も聞き入れませんでした。

 

しかし、太平洋戦争は、やがて日本が劣勢となります。すると、それまで日本とは戦争していなかったソ連(現ロシア)が、突然宣戦布告をして、満州に進撃してきたのです。(満州国とソ連は国境を接しているので)

 

ソ連は、満州国(中国東北部)から日本を排除するために侵攻して来たのです。当時、日本の敗戦の6日前。日本の軍隊は崩壊寸前の上、南方戦線などに回されていて、満州国は無防備に近い状態。満州国在住の日本人男性が急遽召集されましたが、ソ連の軍隊の前には、ほぼ無力だった。

 

「ソ連軍に殺される」「女性は強姦される」という当時の噂は、「あたらずといえども遠からず」で、日本軍人男性数十万人はソ連軍に捕まり、シベリアに抑留され、寒さや栄養失調状態で強制労働させられ、数万人が亡くなりました。ソ連軍人に強姦された日本人女性もいました。

 

数十万人の満州国日本人移民たちは、着の身着のままで帰国しようとしました。が、鉄道はソ連軍によって破壊され、1000キロ以上歩くしかなかった。しかも、逃亡する日本人家族に対し、周辺の中国人は、それまで痛めつけられた仕返しをしてきました。日本人集団は、略奪・殺人・(女性は)強姦され、帰国を絶望して集団自決する人達もいました。生き残った人達も、中国人の村を通って逃げる為に、なけなしの財産を差し出さねばならず、ようやく帰国の船に乗る時は無一文だったのです。

 

この逃避行で、中国に置き去りにされたのが、いわゆる「残留孤児」です。大きな荷物を背負っての1000キロの逃避行……乳幼児には無理ですよね。病気になる子もいたし、大人でも無事に帰国できない人が多いのに……。「この子が生き延びるために……」と、泣く泣く、乳幼児を中国人に預けた人が多かったのです。

 

*現在は「残留邦人」と言われています。子どもだけではなく、満州国に居た日本人女性の中にも、帰国を諦め、中国人男性と結婚して生き延びた人がいたのです。

 

中国に置き去りにされた「孤児」や「女性」の中には、もちろん、帰国を熱望する人が多かったのですが、戦争で日本と中国の国交は途絶え、回復したのは1972年。終戦後27年経ってからでした。そして、更に数年後、ようやく、現地中国人の日本(満州国)への恨みが落ち着き、「残留孤児を探しに行く」ことが可能になったのです。1980年、戦後35年。幼かった孤児は、もう中年になっていました。

 

この「残留孤児」ですが、僕の身近にはいません。が、1980年代に就職した会社の上司が、「ニュースで残留孤児の人を見ると、涙がとまらない」と言うのです。

 

上司は九州出身と聞いていたのですが、「生まれたのは満州」だそうです。

 

上司「終戦時、父は召集されていて、母は、全財産を風呂敷に包んで持ち、5歳の俺の手を引き、2歳の弟を背負って、毎日何十キロも歩いた。もう少しで港に着くという時、知らない中国人から『引き揚げ船はすし詰め状態。あんたの背負っている子どもはぐったりしていて、日本へはとても生きて帰れない。俺にくれ。俺が育ててやる』と言われた」

 

僕「それで? まさか……」

 

上司「母は迷ったと思う。でも、結局、その中国人を振り切って、3人で必死に港に向かい、何とか引き揚げ船に乗った。小さくひ弱だった弟は、今では元気に中年太りしている……が、あの時、母が中国人に弟を預けたら、あのテレビの残留孤児の人の中に、きっと弟はいる……」

 

普段は強面の上司が涙ぐむのを初めて見ました。

 

当時、20代前半の僕は、上司の話を聞き、「そんなことがあったのか」ぐらいな気持ちだったのですが、先日のNHK特集を観て、涙腺崩壊しました。

 

37歳の残留孤児の女性「2歳で中国に残され、親のことは何も知らない。中国人だと思って育ったが、周囲に『鬼の日本人の子』といじめられ、非難された。以来、本当の親に会いたいと、毎日願っていた……でも、養い親にも誰にも言えなかった」

 

37歳の女性は、少し老けて見えました。同い年だという中国人夫の方が、はるかに若く見えました。女性が苦難の半生を送ってきた証拠でしょう。その夫も4人の息子たちもポカンとしている中、女性は35年ぶりに日本人の父に会い、人目もはばからず、老いた父にすがりついて泣き続けていました。

 

育ててくれた親が、実の親ではなかった……。それだけでもショックなのに……。自分が、かつての敵が置き去りにした存在で、村中から敵視されながら、子ども時代や思春期を過ごすなんて……。想像もつきません。

 

無事に結婚し、4人の子宝に恵まれた今も、きっと、顔も覚えていない両親に会いたいと切望し、自分の本名は何なのか? どこでどうやって生まれ、中国人に預けられたのか? 知りたくてたまらなかったことでしょう。

 

 

「残留孤児」たちの写真や映像を見ると、30代後半~40代前半の「孤児」たちは、女性の方が多いように感じます。

 

か弱い乳幼児が生命の危機にあった際、女子の方が生存率が高いのか?

男の子の方が、もらい受けた中国人家庭で「跡取り」として優遇され、「日本人の子」だと明かされなかったのか?

明かされたとしても、「孤児」だった男性が、かわいがってくれた育ての両親を気遣って、名乗り出てこないのか?

 

「残留孤児問題」は、僕個人は直接の関係がありません。

でも、30代になった頃、ある「残留孤児」関係者と知り合いました。

が、長くなるので、続きは、明後日にします。

 

さて、今日の観音オラクルカードです。

↑「8つの不死」

 

「8つの不死」に象徴される、観音様による「お導き」があなたに届きます。

「お導き」を受けた方がいいのは、言うまでもありません。

 

しかし、スピリチュアルなお導きと、単なる希望的観測は、違います。

「お導き」は、単純で、何度も届きます。

素直な心でいれば、わかるはずです。

 

判断に迷う時は、あなたの心の奥の「良心」に尋ねてみましょう。

「本当はしたくない」「本心では、してはいけない」なら、やめた方がいいのです。

 

観音様は、すべて「お見通し」です。すべては見られているのです。

よくないことをすれば、いずれ「裁き」がなされます。

よいことをおこなえば、あなたは更なる幸せへと導かれるのです。