ゲイ占い師 豫 空潤です。

 

一昨日、映画「御法度」(1999年日本)について、書きました。

 

読み返してみて、ちょっと書き足りない……説明が不足していると感じました。

 

*僕自身の1970年代田舎でのゲイデビューの思い出に脱線してしまったので、本筋から逸れてしまったのです。(-_-;)

 

一昨日の記事のコメント欄に、
「確かに、10代半ば~後半の少年から青年に移る時期特有の、(松田龍平の)中性的な美しさは、映画『御法度』を成立させる重要な要素です」と僕は書きました。

 

しかし、そこがテーマではないのです。(と僕は思います)

 

僕は、松田龍平が特別なイケメンとは思いません。(松田龍平さん及び、ファンの皆様、申し訳ありません)

 

では、なぜ、あんなにも新選組内が乱れてしまったか?

それは加納(松田龍平)が10代半ば少年の特別な輝きを持っていたから(公開時、松田龍平は16歳)。そして、同性愛的要素を持つ男性は、そういう輝きに敏感だから。(異性愛100%男性には理解できないでしょう)

 

つまり、新選組という男だけの組織に、同性愛的要素を持つ男が少なからずいたということです。(実際の資料にも、「衆道」の記載があるようです)

 

例えば、映画クレジットの先頭に名前が出る土方(ビートたけし:ナレーションも)ですが、土方が同性愛的要素を持つことを匂わせるナレーションが幾つもあるのです。

 

序盤。剣術で勝るはずの加納が、田代に稽古で負け始めた……それで「あの2人はできてる(同性愛関係になった)」と土方が、確信するところ……。

 

土方が100%ノンケ(異性愛)だったなら、それだけで確信するものでしょうか?

そもそも、新入隊した2人の男の関係に、なぜそこまで関心を持つ?

 

中盤。「加納は、いつまでも前髪を切らない(少年の姿でいる)。あれでは、言い寄ってくれと言わんばかりだ」と、加納に言い寄る男に共感するナレーションを土方はしているのです。

 

土方だけではありません。近藤勇(崔洋一)も、加納(松田龍平)に特別な関心を寄せています。だから、入隊を認めると同時に「俺の小姓にする」と言ったのです。

 

ご存知のように、「小姓」とは身の回りの世話をする役。同性愛的要素を持つ武士は、美少年を小姓にして、寝室に呼び、寵愛しました。(織田信長が蘭丸を寵愛したのは有名ですね)

 

近藤勇は加納を寝所に呼ぶには至りませんでしたが(映画では描かれてない)、他の隊員と比べて特別に優遇したのです。

 

それは、映画の後半、加納が田代・湯沢という2人の男と同時進行で関係を続け、新選組内に嫉妬による争いを引き起こしたにも関わらず、加納自体を全くとがめず、「女を覚えさせろ」「田代を殺せ」として、何とか加納を守りつつ、混乱を解消させようとしたことに表れています。

 

加納(松田龍平)に魅了されながらも、年の差・隊トップである立場などから、直接手は出さなかったが、優しく見守っていた土方と近藤勇……。

 

彼らと異なる心情を持ったのが沖田総司(武田真治)です。

他の人のレビューで「(松田龍平よりも)武田真治の方がイケメン。ミスキャストだ」という意見が少なからず見られます。

 

わかります。僕も、武田真治の方がイケメンだと思います。でも、武田真治は公開時、27歳。

美少年役には、ちょっと無理があります。しかも、加納や田代の同性愛関係を否定する沖田総司役には、比較的若くて、イケメンの武田真治がぴったりなのです。

 

武田真治(沖田総司)だったら、前髪が残る10代当時は、さぞや美少年だったことでしょう。

加納同様、あるいはそれ以上に年長の男たちから誘われまくったことは想像に難くありません。

 

それでも沖田(武田)は、男たちを翻弄しなかった。すべて断ったか……関係したとしても、1人に絞り、無用な嫉妬心を起こさせなかった。そして、20歳過ぎたら、「衆道」は、さらりと卒業してみせた……(と、僕は想像します)。

 

それだけに、言い寄る年上の男たちを手玉にとり、嫉妬で争わせ、陰で喜んでいる加納(松田龍平)を、沖田は許せなかった。20歳過ぎても、堂々と「衆道」にのめりこむ田代(浅野忠信)も、目障りだったが……。

 

だから、田代を殺して終わり……という近藤や土方の方針は、沖田にとって認めがたいものだった。元凶の加納を生かしておけば、また同じことが起こるのに……。

 

しかし、新選組トップの近藤勇や土方が同性愛的要素を持つのは否定しない。沖田自身にもそれはあるから。プラトニックなものに留めておけば、美しいのだ。あるいは、限定的だったり、表面化しなかったりすれば、否定する必要はない。

 

だから、田代を殺すのに立ち会う際、あえて、沖田は土方に男同士の愛を「美しい話」と語ってみせる。「土方さんや近藤さんまで否定する訳ではありませんよ、『衆道』は私も理解してます」という前置きをしてみせたのです。

 

最後に加納を斬り殺すと……沖田は、この時点で決意していたのでしょう。だから、加納を愛しく思う土方や近藤勇への言い訳をしておいたのでしょう。

 

 

僕は、歴史学者ではないので、「衆道」に、そこまで詳しくありません。でも、歴史学者でも、体験した人はいないはずです。

 

閉鎖的な昭和の田舎ゲイ社会を体験している僕には、何も考えてない少年が、思いがけず先輩年長の男たちにもてはやされ、人を振り回す魔性に目覚めてしまうのは、よくわかります。(僕は、魔性ではありませんでしたよ……念の為に言っておきます)

 

そして、分別ある大人の男たちが、同性愛的要素ゆえに、年端もいかない少年に夢中になり、冷静さを失う……も、よく理解できるのです。

 

映画「御法度」では、加納(松田龍平)が心情を吐露する場面はほとんどありません。土方・近藤勇・田代・湯沢など、加納に魅了された男たちの方が、圧倒的にその胸の内を語るのです。

 

加納を否定する沖田総司も、気持ち(の一部)を語っています。

 

だから、僕は、魔性に目覚めた美少年というより、美少年に魅入られ、振り回される大人の男たち(及び、あえて振り回されない沖田総司も)を描いた映画が「御法度」だと思うのです。

 

まだ、LGBTsも世間では使われず、「同性婚」も「同性愛者の権利」もさほどうたわれてなかった1999年……ノンケ(異性愛)男性の中に眠る同性愛的要素を掘り起こした「御法度」……もっと早く観ていればよかったと思わされた作品でした。

 

さて、今日のゲイタロットです。

↑「戦車」正位置。

戦車と言っても、見ての通り、戦争に使う物ではなく、犬にスケートボードを引かせているカードです。「どんどん進もう」「バランスよく行動しよう」「楽しもう」という象意です。

 

↑「カップの男」リバース(逆さま)。見やすくする為に正位置で貼り付けてます。

消防士の絵です。人を救う大事な仕事で、気を付けなければ自身が危険な行為でもあります。カップは、トランプで言うハート。「気持ち」が特に重要視されます。

 

2枚を合わせ読むと、

今、前に進む時期です。多少のリスクを楽しむぐらいの気持ちが必要でしょう。

ただし、情に流されてはいけません。あなた自身の為にも、相手の為にも、冷静で合理的な判断が求められます。