ゲイ占い師 豫 空潤です。

 

突然ですが、「おらがまぎでねな」って、意味わかりますか?

僕の生まれた東北地方(と言っても、広いし、山1つ越えれば方言も違います)の故郷の言葉で、

 

「おらが」=「俺の」

「まぎ」=「まき」=同族集団

「でねな」=「じゃないね」

 

つまり、「俺の一族じゃないね」という意味です。

 

これは僕が言われた訳ではありません。

 

50年ほど前、東北地方の故郷で、当時高校生だった僕の姉が伯父から言われた言葉です。

 

僕の姉は、高校1年で1人の男子高生と交際し、やがて別れ、高3で、また別の男子高生と交際してました。(高3でつきあった方とは、その後結婚し、僕の義兄になりました)

 

こうして書くと、なんてことないことなのですが、昭和の東北地方の片田舎……男女別の高校が多かった当時……高校生の男女交際は、時に「不純異性交遊」などと呼ばれ、一部の大人たちは眉をひそめました。

 

僕の伯父は、この「眉をひそめる大人」の1人でした。姪の男女交際に表立っての反対はしませんでしたが、「俺たちとは違う」と、それとなく非難というか、「理解しない」ということを言ったのです。

 

今の若い人たちが聞いたら、呆れたり、驚いたりするかもしれません。令和の今、高校生男女カップルが手をつないで歩いても、(たぶん)誰も非難しません。

 

でも、昭和40年代の田舎は違いました。

「高校生の本分は勉強。男女交際なんて、早すぎる」

「高校生の男女交際はグループ交際まで。1対1ではするべきでない」

などという意見が大人の間では多数派でした。

 

高校生はミドルティーン。男子は性欲が最も強い年代。男子ほどの性欲はない女子も、好奇心があり、背伸びしたいお年頃。1対1交際はセックスに発展しがち。夢中になって勉強が手につかなくなったり、妊娠したら大変! ってことだったのでしょう。(僕の姉は、高校生で妊娠してません。彼氏と、お泊りもしてなかったはずです)

 

しかし、恋に溺れて成績が下がったり、妊娠して慌てる高校生カップルは現代でも存在します。(推奨されることではありませんが)

 

では、現代では許容されることが、なぜ、当時は「不道徳」で「いけないこと」とされたのでしょう。

 

それは、当時の大人たちが、自分の規範から外れた他人の性行動に対し、不寛容で、お節介で、余計な口出しをしていたからです。

 

なんか、今の日本の「同性婚」法制化反対の人達と似ていますね。親族でも何でもない他人同士が同性婚しようが、しまいが、関係ないし、影響もないはずなのに……「俺は認めない」「私は反対だ」と、わざわざ声に出して反対する人がいる。

 

同性婚しようとする人達は、必死に、それこそ、人生を賭けて、理解のない親族や友人と縁を切られても、同性愛嫌いの人達から誹謗中傷される可能性があっても、結婚したいと希望している。

 

異性愛の人達が、「好きな人と結婚したい」と同じように、「人生の一大事」もしくは「誰でもする権利がある」と考えて、結婚を望んでいるのです。

 

それなのに、無関係の人から「俺は好きじゃない」「私は認めない」……。

これは「同調圧力」の一部でしょうか? 道徳規範を狭く狭く設定し、違反者を作り出して、火あぶりにして喜びたいのでしょうか?

 

あなたが同性から告白されて、その気がないなら、断ればいい。

あなたが同性からプロポーズされて嫌だったら、拒否すればいい。

 

でも、なぜ無関係のカップルが幸せを求めて、「ふうふ」になろうとしているのを、「同性同士だからダメ」と、禁止するのでしょうか? 

 

「昔からそうだった」と言う人がいますが、違います。現在の婚姻制度が法制化されたのは明治以後。その明治時代だって、「女装の男性が嫁として男性と結婚していたら、西洋のキリスト教価値観が入ってきた警察にとがめられた」などの話が残っています。

 

江戸時代以前の日本は、同性愛に関して、もっともっと寛容でした。

 

武家の「衆道」など、見知らぬ青年が家を訪ねてきて、「あなたの家の息子さんを見初めた。僕の『衆道』の相手と認めてほしい」、つまり堂々と同性愛交際を申し込みに来たという話が残ってます。(その人は、家の息子はまだ10代前半で幼いからと断ったそうですが)

 

たかだか百数十年の婚姻の法制度を、まるで「太古の時代」からの「自然の法則」かのように、異性愛絶対主義を掲げ(掲げるだけなら自由ですが)、他人にもそれを強制する人達……。

 

高校生の男女交際に反対する人達が、50年経っていなくなったように(まだ少数はいるかもしれませんが)、「同性婚反対」を叫ぶ人達も、数十年経てば、「なんで、あの頃は反対されたんだろう?」「個人の自由を平気で制限する野蛮な時代だった?」と言われるのでしょうか?

 

さて、今日のイルミナティタロットです。

↑「金貨の10」リバース(逆さま)。見やすくする為に正位置で貼り付けてます。

報酬は、想定より少ないかもしれません。しかし、損をするわけではありません。

もらえるものが少ないと、リスクも少なくなります。

 

↑「剣の7」正位置。

テクニックや駆け引きも、ほどほどにしましょう。

 

このカードの若者は、戦場に置き去られた剣を勝手に自分の物にしています。

法律違反ではないでしょうが、倫理的にはどうでしょうか?

何より、あなた自身負い目を持ちませんか? そういうことです。

 

2枚を合わせ読むと、

あなたが今していることは、うまくいきます。収入につながるでしょう。

 

しかし、その金額は想定よりも少ないでしょう。しかし、ものは考えよう。大金をもらうということは弊害もあります。お金で買えない幸せを失わない為には、「棚ボタ」収入は少なめのほうがいいのです。

 

「棚ボタ」収入が大きいと、欲に眼がくらんだり、周囲から妬まれたりして、せっかくの平和で穏やかな暮らしが損なわれる恐れがありますから。