ゲイ占い師 豫 空潤です。

 

毎年、8月中旬になると、終戦記念日にちなみ、戦争に関するテレビ番組が放映されます。

僕にとっては、生まれていない時代の話です。が、近年、観たくなります。

というより、観なきゃいけないという思いにかられます。

 

理由は、僕の亡き父です。

僕の父は、結婚前の若いころ、兵隊に召集されて南方の島に派遣され、隊がほぼ全滅し、ジャングルを逃避行し、草やネズミや蛇を食べ、死にかけながら、終戦を迎え、日本に帰ってきたそうです。(また聞きなので、詳しくは知りませんが)

 

父は、僕の3歳の誕生日直後に病死したので、僕にはほとんど記憶がありませんが、僕の守護霊となり、守ってくれています。

その守護霊の父が戦争番組を観たがるのだと、僕は解釈してます。

 

今年の夏は、なぜか、戦争番組を観たい気持ちが薄れています。その代わり、数日前、突然、脳裏に1人の人物が浮かびました。

全盲のテノール歌手新垣勉さんです。

 

新垣勉(出生~中2)。

1952年11月沖縄県で、日本人の母とメキシコ系アメリカ人(米軍人)のもとに生まれた。

出生直後、助産師のミスで、劇薬(家畜用の洗浄液)を点眼され、光も感じない全盲となる。

1歳で両親が離婚。父はアメリカへ帰国。

その後、母は再婚し、勉は祖母に育てられる。勉は祖母を「母」と呼び、時々やってくる実母を「お姉さん」と呼んで育った。

祖母は、59歳で脳梗塞になり死亡。勉は中学2年からひとりぼっちで生きていくことになった。

 

新垣勉さんについては、2001年、「さとうきび畑」がヒットした時に知りました。澄んだ音色のテノールでありながら、哀愁を帯びたその歌だけでなく、少年・青年時代のエピソードに胸を打たれます。

 

新垣勉(中2~)。

独りになった中学生の頃、賛美歌に惹かれて教会に通うようになった。

話を聞いてくれた日本人神父に「大人になったら、アメリカで父を探し、殺したい」と告白したら、目の見えない勉にも、神父が泣いているのがわかり、「他人なのに自分のために泣いてくれることが嬉しかった」という。

以後、盲学校の寮を出て、教会で暮らし、神父の家で食事をとる生活に。

 

歌手を目指した学生時代、外国人のボイストレーナーに「君の声は日本人離れしたラテン的響きがある」と激賞された。「父がメキシコ系アメリカ人です」と答えると、「君の声は、神様からのプレゼント。親からのプレゼント。感謝しなきゃね」と言われ、初めて父を許す気になった。

 

「助産師のミスを恨み、僕を捨てて再婚した母を恨み、1歳の僕を捨ててアメリカへ帰った父を恨んでいた」新垣勉さんは、思春期に絶望して自殺未遂したほどですが、きっと、このボイストレーナーの言葉で、「生きていこう」と思えたのでしょうね。今は、ミスをした助産師についても、「当時の沖縄の混乱では、仕方なかった」と、淡々と話しています。

 

僕の父は病死ですから、僕は父に捨てられた訳ではありません。が、専業主婦だった母は、30歳で、複数の幼児を抱えて残された後、死んだ父を恨むような言葉を吐き続けていました。

 

子どもだった僕は、母の「恨み節」を鵜呑みにしていたのですが、中高生の頃から感情が変わりました。亡き父を知る人達が、みんな「空潤くんは、お父さんそっくりになったね。見ていると涙が出る……あなたのお父さんは〇〇で、△△で、素晴らしい人だったのよ」と言ってくれたからです。

 

30代で病死した父は、若いころの戦争での瀕死体験が遠因だったと言われました。

若い妻と幼子を残して死んだ父……死に際に「子供たちが望むなら、上の学校まで行かせてやってくれ」と母に頼んだという父……若くして死んで、父自身、どんなにか無念だったことでしょう。

 

死んだ父に守られながら、父が死んだ年齢をはるかに超えている僕は、父の分まで元気に長生きしたいと考えています。

 

さて、今日の台湾版易タロットです。

↑「山雷頤(さんらいい)」リバース(逆さま)。見やすくする為に正位置で貼り付けてます。

男性が、黙々と植物に水やりをしているのに、女性は、あさっての方角を見ています。

人のこと、よその家が気になるという絵です。しかし、目下のことをするしかないのです。

 

↑「地雷復(ちらいふく)」正位置。

地面の下で待つウサギに、やがて春が訪れます。

それまで家にいましょうということです。

 

2枚を合わせ読むと、

人のことが気になる時期です。でも、人がどうしようと、どうなろうと、あなたには関係がありません。

あなたは、あなたのやるべきことをしましょう。じっと待つのも、その1つです。