ゲイ占い師 豫 空潤です。

 

月~金曜日の毎朝、同棲する日本人ゲイ男性Tommyと、朝ごはんを食べながら、NHK朝ドラを観ています。(2013年「あまちゃん」の頃から)

 

今期の「おちょやん」は、特に面白く観ています。が、中でもヒロイン千代が女優を目指すきっかけになった「人形の家」(1879年イプセン作の戯曲)のセリフが随所に効果的に出てきています。

 

「人形の家」は、ご存知のように、女性解放の先駆的作品。(ネタバレします)

 

弁護士の夫ヘルメルに愛され、尽くして、中流(というより、メイドや乳母がいて、かなり裕福?)家庭で、3人の子供を育てている専業主婦のノラが、夫から「対等な人間」と見られてない、「人形」のような愛玩物であることを知って愕然とし、「人間」として自立する為に夫も子供も家も捨てる話である。

 

この戯曲自体、僕は、生意気盛りの中高生の頃、1度読んだきりで、頭でわかったつもりになっていました。昨日まで、良き妻良き母として努めていたノラが、1日か2日で「覚醒」し、妻の役割も母親の責任も放棄して家を出るという結末も……。

 

140年以上前に、こんな作品を発表するなんて……。さずが男女平等先進国の北欧ノルウェーですね。(当時、この結末に賛否両論だったそうですが)

 

こういう話に触れると、僕は、どうしても、僕を生み育てた母(15年前に死亡)を思い出してしまいます。

 

僕の母は、戦前の東北の生まれ。学生時代は戦争で、勉強も花嫁修業もろくにできなかった……(と言ってました)。

 

僕の父は、戦地から帰還し、地元随一の企業に勤めてました。8歳上の父が高卒就職の母を見初め、結婚。

 

郊外に1軒家を建て、3人の子をもうけた。が、末っ子の僕が3歳になった直後、父は病死。

専業主婦で、何の資格もない母は、実家の援助を受けながら、パートタイムに出て、子供達を育てた。

 

母は、僕に、何度も「空潤、将来、お前に養ってもらうから、姑いびりをしない優しい嫁をもらってね」と言ってました。(上の2人は女の子だったので……)

 

小学生の頃は、素直に「うん」と返事していましたが、思春期になると、僕はゲイを自覚して……母の存在が重たく思えてきました。(結局、母が死ぬまで同居しましたが)

 

小学生の頃と言えば、帰宅すると、自宅で、母が知らないおじさんと話してた日がありました。地元では有名な大きな店の社長さんでした。しかも、その社長さんの息子が隣のクラスにいたのです。

 

僕が大人になってから、母が「あの社長さん、私に迫ってきてたんだよ。『妾』『二号』って言われたくなくて、断ったけどね」と言ってました。それを聞いた僕は、正直、複雑な気持ちでした。

 

でも、僕が就職したのを機に、パートを辞めた母が「本当は、パートタイムじゃなくて、一杯飲み屋の女将さんになりたかった……」と聞いた時は、

「一杯飲み屋の女将? やればよかったじゃない? 水商売でも何でも、やりたいことやればよかったのに……」と思いました。(口には出しませんでしたが)

 

小学生の頃、同級生の男の子に、僕と同じ母子家庭で、お母さんが居酒屋(後にスナック)を開いている家の子がいました。友達ではなかったので、その子自身の気持ちは聞いてませんが、僕は、その水商売のお母さんは自立してて、えらいと思ってました。

 

僕の母は、専業主婦として夫(僕の父)を頼り、父が早死にすると実家を頼り、唯一の息子である僕が就職すると、僕を頼ってきました。

 

母であることを何より優先してくれたことには、感謝しています。小中学生の頃、帰宅すると、だいたい母は家に居たので、寂しい思いは全くしませんでした。

 

でも、もしも母みたいな立場になったら、母のような生き方をしたいかと問われたら、僕は「NO」です。30歳からでも、3人の子を育てながらでも、やりたいことを模索したいです。水商売であっても、自分にできることを探し求めたいですね。

 

だから、いろいろと違いますが、母は、「人形の家のノラ」とは全く異なる生き方をしました。まあ、母が「覚醒」して、僕ら3人の幼子を施設に預けて、都会に単身飛び出したら、僕は母を恨んだかもしれませんが……。

 

「人形の家のノラ」の場合、メイドも乳母もいるので、経済力ある夫と子供を捨て、「ひとりの人間として生きる尊さ」を選んだのでしょう。夫が死んでいたら、子供を抱えつつ、自立を目指したに違いありません。

 

やっぱり、「人間」として、後悔しない生き方をしたいですね。男でも、女でも、異性愛者でも、同性愛者であっても……。「あれがしたかった」「こうすればよかった」的なことは言いたくないです。

 

さて、今日の台湾版易タロットです。

↑「火水未済(かすいびせい)」正位置。

前回に続いての登場。連続で出て来るということは、僕が読み切れていない意味があるという守護霊からのメッセージでしょう。

 

易タロット最終64番のカードですから。

何かが終わりそう……終わりにしそう……ということを表しているのでしょう。

 

↑「山雷頤(さんらいい)」

男性が植物に水やりして、育てています。が、女性は、あさっての方を眺めています。男性が育てている植物は見ていません。

 

欲張ってはいけません。身近にある地味なものこそ、あなたにとって大事だということです。

 

2枚を合わせ読むと、

あなたは何かを終えようとしています。あるいは、何かの終わりに立ち会います。

その際、欲張ったり、ない物ねだりしても仕方ありません。

状況を冷静に観察し、堅実な言動をすることをお勧めします。

 

あなたにとって1番大切なものは何か? それをはっきりとさせてから「終わる」べきです。