青い鳥
フランス語でロワゾーブリュと言うらしいです。
トヨエツ主演の昔のドラマにありました。
最終的には、愛した人の娘と結婚して南の島で暮らすみたいな、ビデオにはそんな特典映像があったんだけど、本編見て擦った揉んだあった後であのエンディングは、なんか人間の人間をみた気がしました。
今のチャラチャラしたドラマの最終回に比べたらよっぽど深い。
オイラは、数字とれないドラマより、あぁいう核心ついたような話が欲しいっす。
今のドラマはどこか軽いし、なんか無責任。
キレイな物語なんかいらないんだよ。
欲しいのは、よりリアル。リアル、より本質に近いリアル。
トヨエツ主演の昔のドラマにありました。
最終的には、愛した人の娘と結婚して南の島で暮らすみたいな、ビデオにはそんな特典映像があったんだけど、本編見て擦った揉んだあった後であのエンディングは、なんか人間の人間をみた気がしました。
今のチャラチャラしたドラマの最終回に比べたらよっぽど深い。
オイラは、数字とれないドラマより、あぁいう核心ついたような話が欲しいっす。
今のドラマはどこか軽いし、なんか無責任。
キレイな物語なんかいらないんだよ。
欲しいのは、よりリアル。リアル、より本質に近いリアル。
真・これよくわかんねぇなぁ②
ネイル。
女性の方なら解るのかなぁ、ネイル。
何がいいんだろう。確かにカワイイ色やデコレーションをしてオシャレ!ってのはあるんだろうけど、ちょっと理解でき ない。
正直、そんなんどうでもいい。特に足とか。
前に、同僚のおばちゃんに足のネイル(言うても色塗るくらいなやつやったけど)見せられて、どう?って聞かれたことがあったけど、別に…………。
ネイルだけは理解できないですね。逆にちょっとウザイくらいです。
その手で何作るん?などと古風なことを思ってしまうわけです。
キレイな色や飾りで飾り立てるより、そのものをキレイにする女性の方が魅力的。
浴衣を着るにしても、ガチャガチャ飾り立てるんじゃなく、凜として着てほしいよねぇ。
今の女性のオシャレは、煩さすぎ。盛ればいいってんじゃないのよ!
和風美人が1番よ。
どう?
女性の方なら解るのかなぁ、ネイル。
何がいいんだろう。確かにカワイイ色やデコレーションをしてオシャレ!ってのはあるんだろうけど、ちょっと理解でき ない。
正直、そんなんどうでもいい。特に足とか。
前に、同僚のおばちゃんに足のネイル(言うても色塗るくらいなやつやったけど)見せられて、どう?って聞かれたことがあったけど、別に…………。
ネイルだけは理解できないですね。逆にちょっとウザイくらいです。
その手で何作るん?などと古風なことを思ってしまうわけです。
キレイな色や飾りで飾り立てるより、そのものをキレイにする女性の方が魅力的。
浴衣を着るにしても、ガチャガチャ飾り立てるんじゃなく、凜として着てほしいよねぇ。
今の女性のオシャレは、煩さすぎ。盛ればいいってんじゃないのよ!
和風美人が1番よ。
どう?
流れてくる曲
辛い時とか、何かに悩んだり躓いてしまって立ち止まる時に、決まって僕の中に流れてくる曲がある。
かつて、幼くていろいろな人を傷つけて、大切なものを壊して、その度に自分もまた傷ついて。
それでも、救い上げてくれた曲がある。
有名アーティストの曲じゃない。
言うなれば、大人の卵の、小さな叫びのような、そんな曲だ。
人生のピンチ、みたいな時にはその曲が必ず流れた。
「誰かに届く曲」ってやつだ。
今、自分で音楽を続けていて、楽しいこともきついことも、嘆かわしいような気持ちになったこともあった。
だけど、音楽がその度に救ってくれて、今こうしてノウノウと生きている。
自分自身を省みると、救いようのないクズだってことがよく解る。
でも、音楽がまだ僕を生かしてくれていて、希望の光のように目の前で手を掲げている。
目を開けて前を見ろと言うように。
流れてくるのはあの曲。
僕はそれに救われて、「誰かに届く」と言うことを、確認し実感する。
まだ、そんな曲は書けていない。
メロディーや歌詞、僕はまだ誰かに届く曲を書けていない。
世界観の表現、と言えば聞こえはいい。
ただ、まだ誰にも届いていない。
そんな気がしている。
僕は、いつも変わらずにみんなと一緒にいたくて、音楽がしたくて、クチャクチャになりながら、それでも感じるままに音楽を、仲間たちとしていたい。
袂を分かつことになるとしても、僕はできる限り、音楽を介して繋がっていたい。
どれだけこの幼い想いを世界が汲み取ってくれるかは解らない。解らないけど、なるべく、そんな風にいたいと思う。
大人になるって、我慢することじゃなく、割り切ることじゃなく、堪えることでもなくて、
ただ、染まって馴染んでいくことなんだって、何となく哀しくなって、まだまだ幼い自分を恥じる。
でも、流れてくる曲がある。
僕はまだそんな曲を書けていない。
かつて、幼くていろいろな人を傷つけて、大切なものを壊して、その度に自分もまた傷ついて。
それでも、救い上げてくれた曲がある。
有名アーティストの曲じゃない。
言うなれば、大人の卵の、小さな叫びのような、そんな曲だ。
人生のピンチ、みたいな時にはその曲が必ず流れた。
「誰かに届く曲」ってやつだ。
今、自分で音楽を続けていて、楽しいこともきついことも、嘆かわしいような気持ちになったこともあった。
だけど、音楽がその度に救ってくれて、今こうしてノウノウと生きている。
自分自身を省みると、救いようのないクズだってことがよく解る。
でも、音楽がまだ僕を生かしてくれていて、希望の光のように目の前で手を掲げている。
目を開けて前を見ろと言うように。
流れてくるのはあの曲。
僕はそれに救われて、「誰かに届く」と言うことを、確認し実感する。
まだ、そんな曲は書けていない。
メロディーや歌詞、僕はまだ誰かに届く曲を書けていない。
世界観の表現、と言えば聞こえはいい。
ただ、まだ誰にも届いていない。
そんな気がしている。
僕は、いつも変わらずにみんなと一緒にいたくて、音楽がしたくて、クチャクチャになりながら、それでも感じるままに音楽を、仲間たちとしていたい。
袂を分かつことになるとしても、僕はできる限り、音楽を介して繋がっていたい。
どれだけこの幼い想いを世界が汲み取ってくれるかは解らない。解らないけど、なるべく、そんな風にいたいと思う。
大人になるって、我慢することじゃなく、割り切ることじゃなく、堪えることでもなくて、
ただ、染まって馴染んでいくことなんだって、何となく哀しくなって、まだまだ幼い自分を恥じる。
でも、流れてくる曲がある。
僕はまだそんな曲を書けていない。