好意とかと恋っていったい何が違うんでしょう?



「これは恋だ!」 っていう激しい衝動のようなものが恋なのかな?


でもきっと人によってはおだやかに好きになることもあるだろうし、


それが恋じゃないとは思えないし


かくゆう自分も、異性をだいだいだいすきになったことはあります 笑




でも、思うんですよ


異性ってやっぱりなんか距離があるじゃないですか 友達だとしても


僕はわりと男女問わず仲良くしてるし そうしたいとも思うんですが、


難しいですよね やっぱり  相手の考え方が同じようならいいけど、


そうじゃないことももちろんあるから 気を遣います


それで結局あんまり仲良くはならない感じで



それで、もっと一緒にいられればいいのに



これには「友達として」ってのも入ると思うんですよね  難しいな



こーゆうのって感覚ですよね


それも分かってるつもりです


わかってるつもりなんだけど


言葉にして確認したくなってしまう  こーゆうのって性ですね




自分で言うのも変だけど、


僕はわりと好意はある程度もたれる方です。 男子にも女子にも  まぁ ある程度ですが


でも それはいろいろあって ひとに嫌われたくないから 


がんばって 無難に生きてるだけ そんな理由なわけで 


モテは一切しないですねw  まず好意もたれてそうだと怖くなって逃げるしw



「多少嫌われるのなんか気にしないで俺は俺だぜ!」


みたいなひとはほんとうらやましーなぁ





あーー もう考えるの面倒になったwww


とりあえず友達は大切にしましょう ってことにしよう うん w


期末試験が終わりました  脈絡なさすぎ 汗




じょーじ





今日は父親の誕生日でした


うちの両親は年齢差があるので 父親は65歳です


うわー 何倍生きてるんだ じぶんの 汗



とくに感慨深いとかは まっったくといっていいほどないですけどw


普段ケンカばっかしてるし・・・


まぁケンカするほど仲が良いともいいますsh・・・ いや 無いなそれはw


とにかくまぁたまには感謝しておきましょうか 心の中で・・w



いまだに健康でいてくれているだけでも 感謝すべきなんでしょうね




にしてもこのさらなる高齢化の進む社会で


何歳まで元気にしていてくれるのか


にくまれ口毎日叩きながら


最近は出張で週2くらいしかいないことにテンションあがりながら、


それでも本当は思ってるんです    思ってる。。。はずですw




ありがとう そして お元気でいてね  


to my Dad


from George










「夜中にひとりで勉強していると、


奇妙な音がどこからともなく聞こえてきた。


金属が共鳴するような 巨大な音叉のような音だ。



心配になって家族を起こして見るが もう音はしない。


気のせいだろう。と思うがその音が離れない。


おそらく耳鳴りというものでもない。家の外から あるいはもっと近くから、


高く揺れる音が 僕にだけ聞こえてくる。 



『キミニハキコエルノカ フフフ』


そんな声がはっきりと聞こえたわけではない


けれど、けれど確かに 何かを 感じた。






居間にある鏡には 自分が一人で勉強する部屋が映っているだけだ


決してそこに他の人はいない 


おおきくて 輪郭のはっきりとしない のっぺらぼうの顔なんて


あるわけがない  それでも後ろが振り向けない  怖い


怖いけれど見なくては そこに何がいるのかを確かめなくては


首が動かない  鏡に向けられた僕の目は


鏡にはうつらないはずの何か 


それでいて無理矢理にうつりこもうとする思念のような何かを


確かに感じ取っていた   体が硬直していく 
















「こんな感じの話どーよ!?ちょっとは怖いかな!?」 


真夜中の公園で、彼は彼女に言った。



「いいんじゃないのかい?」 そう声は応えた



彼女の口元は動いていない



















そう 声は応えた・・・?? 一体ダレガ・・・・・
















金属の共鳴するような音がして 彼は正気を取り戻した。



なんだったんだ今のは!? 彼は思った。


緊張がとけ、汗に濡れたシャツは彼の身体を心から冷やした


彼はあわてて家に帰り シャワーを浴びた



半曇りのドアの向こうには うっすらと丸い影がみえた 












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とくにミステリーが好きとかじゃないんですが、


なんか奇妙な音が聞こえてきて あとは疑心暗鬼的に想像力がカバーした感じで 汗


とりあえず書いててすごい怖いです なんで書いたんだ(>_<)


絶対怪奇モノとか読みたくないなぁ~

「はっきり言ってよ」


「僕にも分らないのさ 僕はウサギになったこともないからね」


「私だってないわ」


「そうさ 誰だってウサギになったことはないんだ。


あるいはその記憶を覚えていないだけかもしれないけれど、


キミはウサギが好きなんだろう?」


「えぇ、 好きよ。人よりもウサギと心が通じるみたい。声が聞こえるもの。」


「ならどうして飼わないんだい?」


「淋しい っていう声が聞こえちゃうからよ。 


 たとえペットショップのゲージの中でも まだ周りに仲間はいるわ。


 だから家で飼うことはしないの。 私がずっと一緒にはいてあげられないから。」


「じゃあ、こうしよう。 僕と君が代わりばんこに世話をする。


僕はきちんとエサもやるし、 あるいはウサギが何を言ってるのかも分かるように努力するよ」


「努力したってできるものじゃないのよ 私は生まれつきそうなの」


「そうかもしれない。でもやってみないことには分からないさ 

 

 もしかしたら人付き合いよりも上手くいくかもしれない。 向き不向きってのはあるもんだ。」


「あなたってちょっと変わってるのね」


「そうかな」


「えぇ 少し。 でも嫌いじゃないわ そういうところ」


「君も変わってるから?」


「あるいは そうかもしれない。


 困ったわ。 なんだかあなたの話し方がうつってきちゃったみたい」


「そうやって多かれ少なかれ変わってくのさ。


 人は淋しがり屋だ でも だからこそ変われるのかもしれない 


 一人の人間が生まれ持つ物には限りがあるからね 」


「水が半分はいってるのね?」


「そういうことさ 君を待っているウサギもきっといるはずなんだよ 必ずどこかにね」


「そうね きっとそうよね」


そうして僕らはとりとめもない話を日が昇るまで続けた。





「人間が根本的に孤独な生き物って?」


「そのまんまさ 人は淋しがり屋なんだ」


「ウサギみたいに?」


「いや ウサギよりもっとさ」


「どうして?家族とか友達とか恋人とか、私にはウサギより社交的に生きてるように思えるけど・・・」


「人はどんな動物よりも淋しがり屋さ だからこそ人は求め合うんだ」


「じゃあ人は永遠に孤独なの?」


「あるいはそうかもしれない 僕にもはっきりとは分らないさ 


 けど 人はみな、根本的に自分が孤独であることをインプットされてるんじゃないかな?


 だからこそ つながり合えるんだ "分かり合えない" ことを共有しているからね」


「つまりそれは孤独が必要だってこと?」


「そうかもしれない それでなければ僕らは 自分のことしか考えないのかもしれない」


「それは悲しいわね」


「うん だからそういう意味で それは必要なことなのかもしれない」


「必要のために人は淋しがり屋に生まれるの?」


「うーん・・・ こうも言える "コップには水が半分入っている"」


「・・・それって・・・つまり?」


「ようするに捉え方次第ってことさ」


「・・・んーーと・・・具体的に言うと・・・?」


「つまり 理由が孤独であろうと ひとは誰かのことを大事にできる


 少なくとも それは良いことだとも考えられるだろうってことだよ」


「それは簡単に言うと 人は悲しい生き物なんかじゃないってことね?」


「そうだね うん 人は悲しい生き物なんかじゃない そういうことになるかもしれない」





「歯車ってあるだろう?あの時計に入ってるやつ」


「それがどうかしたの?」


「実は人間の中にも同じように歯車があるんだ」


「どこに?私にはそんなもの見えないわ」


「あるのさ 奥深く 顕微鏡でも見えないような深くにね」


「そうかしら? 私の中にそんな塊があるなんて思えないわ」


「とにかくあるんだ 分かるかどうかは別として」


「ふーん それで?」


「それが回しあってるのさ 人間の感情や関係をさ


 大きなものや小さなもの 右に回るものに左に回るもの


 完璧な関係ではないにせよ、


 近くにあるいずれかの歯車同士まわしあってるのさ


 ただ、その歯車はいつも同じ大きさで同じ方向に回るとは限らない


 同じ歯車も縮んだり伸びたり、 加速したり減速したり  いろいろな変化をするのさ


 たまにそれが一定を超えてうまく噛み合わなかったりすると不具合が生じるんだ」



「なんだかややこしそうね」


「そうなんだ とてもややこしい

 

 でもそのややこしさの割にこの世界はうまくいってると思う」


「そうなのかしら?」


「そうさ 僕らの関係は最高とは言えないのかもしれない 


 でも今僕らがつくり得る関係では最善と言えるんじゃないかな?」


「仲の良い歯車ってことね?」


「そういうことさ」


「みんなの歯車が仲良しになれるといいわね」


「そうだな そうなるといいな」


「そう願うだけでも意味はあるの?」


「もちろんさ 意味はある 願う力っていうのは結構すごいんだよ


 普通の人はなかなかそれに気づかないけれど」


「じゃあ 私は願うわ もっともっと素敵に世界が回るように」


彼は黙って 少し微笑んだ 


彼女はもう笑顔に戻っていた 





「反日」に狂う中国「友好」とおもねる日本―親日派中国人による苛立ちの日本叱咤論 (単行本)

という本を レポートの関係で読みました。


日中関係なんて、まったく知識もなかったし、考えたこともほとんどありませんでした。


(いまも全くないので勉強していく予定です^^;)


自分の世代では、 それが普通であり、


日中関係に興味がある、 


などと言うものなら右か左か?みたいになるのは必至です


(ちなみに私はいまだに右がどちらか認識できてません。 でも共通するところもあるみたいですね)



でも・・・


これだけ近い国で、


こんなに 友好しようとしたり


言い争ったり


言いなりになってODAいっぱいだしてたり


それなのに批難されることがいっぱいで   



ちょっと悲しいなぁと  なんだかもったいないぁと 感じるのです




戦争の過ちは もちろんあるけれど、


日本が 悪 となったのは


アメリカ側が 勝利 したからであって


日本自体への理解をやめたり、 目を背けて謝り続けるだけが、


あるべき姿ではないと感じました。


もっと 日本らしさを見つけて


自信をもって日本人として生きていければいいと思います。




この本の著者の方は中国人で、むしろものすごい中国を批判し(それに流される日本をメインに批判)


ているので若干偏りもあるかもしれないですが、


無意識のうちに  「日本=悪い」 「ずーっと続く賠償」 のようにうなだれてしまっている状態に


あらたな風をくれる意味では参考になるかと思います。 


ちなみに中国では出版許可がでなかったそうですが、 この内容ならうなずけます。




世界が平和になればいいのに  


というのは思うだけでも まったく無駄なわけではない


そう思える人が集まれば 平和につながるのだから・・・



じょーじでした   






ホントかもね ひとはほら 


傷を負った その分だけ


優しくも強くもなれるっていう話



『my name's WOMEN』 by ayumi hamasaki





人が 幸せかどうかは一体誰が決めるのだろう?


誰の目に見ても幸せな人は 本当に幸せなんだろうか?


世間の目から見た幸せと 本人の思う幸せは必ずしも一致するとは限らない



僕がいまいる場所は 社会一般に見れば 恵まれた場所なのかもしれない


そして実際にそれは間違っていないのかもしれない


ただ、ではそこにいる “僕”という個人が幸せなのか 


それは別問題なのだ




幸せは 決まった形をもつものではなくて


人々が 時に昨日に まだ見ぬ明日に 他人に持つ「イメージ」でしかない


その中で「自分の中に」 、「今」という瞬間にそれを見いだせる人だけが


自分の幸せを見つめ 自分らしく 他人をうらやむ事なく生きていけるのだろう




僕のいる場所は 恵まれた環境 と考えられている


まわりには 当り前の幸せ と それ以上の幸せ (世間から見た意味で) にあふれた


そんな人たちばかりいる


そんな中にいると僕は少し苦しい いや かなり苦しいのだ


所属するもの 住んでいる場所 環境


そういったもので ひとは レッテルを貼られ くくられる 




その中にある痛みは 気づかれない 




人の不幸を知りたいわけではもちろん無いし


友達が困れば 力になりたいと思う 


友達が飛び上がって喜べば 素直に嬉しい



ただ 何かが まわりの人とは違う その思いはつもるばかり


痛みを知ると 当り前の事が 当り前でなく思えてくる


それを 当り前 と流す人々とは


もう心を通わすことができないのではないかと


感じてしまうのだ






痛みを知った分だけ 優しくなれる


きっとそれは本当だろう


でもたとえば僕が 「親切でいい人」 と


少数の友達から思われたとしても


違うのだ 根っからの親切だったり良い人ではないのだ 


僕はただ 痛みがあるから 分かるだけなんだ



そう言いたくても そうは言えない


だからきっと どこか違うと感じてしまうのだろう


一体 本当の僕はどこにいけばいいんだろうか・・・








なんか暗くなったけどもwww


冒頭の歌詞は 浜崎あゆみさんの「STORY」というアルバムの曲です。


ちょっと昔は浜崎さんや大塚愛さんが好きでしたね(avexの思惑通りにw)


でも久しぶりに見てみても 歌詞がいいです!! 


最近はそこまで見なくなったけど、 一時代をつくったアーティストですね。


彼女にも彼女なりの それも相当な苦労があると思います。



いいなー ってうらやむのは簡単でも 本当のことを知るのはそう簡単じゃないんでしょう 



むずかしーね 人間するってw 





じょーじ

雨が降ると水たまりができる


水たまりがあれば


水のたまらぬところがある



世の中にはさまざまな人がいる


水の流れを知る人 知らぬ人


幸福や 困難もこれに似ている



水は流れ  いつしか流れゆく


あとに残るものは・・・?







こころの傷痕は  雨の日に濡れた黒いTシャツのようだ


時の流れの力はあまりに小さい



誰かが気づくことわけではない


いつまでも乾かないかもしれない


でも 僕らはそれでも  歩いていかないといけないんだろう