A馬鹿な真面目とは、根は馬鹿だが物事に真っ直ぐで誠実な様。と言ったところか。
B真面目な馬鹿とは、根は真面目だが本気で馬鹿になろうと、或いは演じようとする様であろうか。
そもそも馬鹿と言っても色々な使い方があるが、ここでは一般常識的な知能より劣るという意味と、愚かであり常軌を逸したというような意味合いにしておこう。
この場合、日常で使われる場面として
Aは親が子供に対して、もしくは会社の上司が部下に対して言うような、ある事柄に関して経験値や能力が上の者が下の者を蔑むまではいかなくとも、ある種滑稽に扱うケースである。
Bのパターンは、
表現者、芸術家、音楽家、一部の芸能人、もう少しピンポイントで例えるとお笑い芸人に見られると考える。ある事柄に関して常軌を逸した表現をしたり、自らが愚かで知能の低いような振る舞いを意図的に行い、人が自らを滑稽に扱うよう仕向けたりする様なケース。
AとBの根本的な違いは反応的か主体的かというところが大きな違いであろう。
(しかしながら、自分自身の意志と他人からの評価で変わり得るが言葉である以上、ある程度制約は設ける)
では、Bパターンにフォーカスするとして、
具体的にどのような人物がいるだろうか。
それは、最近身近なニュースとして漫画家赤塚不二夫が生誕80周年を迎え、ドキュメンタリー映画が作られたので、映画の感想も含めて、赤塚不二夫について少し考えたい。
赤塚不二夫の代表作として、天才バカボンとレッツラゴンを挙げよう。
まず、天才バカボンについては、特徴あるキャラクターが数多く登場するのだが、
中でもある種悟りを啓いたバカボンのパパ、拳銃を乱射する警官、言葉を話すウナギなどは印象深い。
漫画の作者は狂っているのでは?そんな疑問すら抱く。
次に、レッツラゴンだが関係者によると天才バカボンを唯一超えた漫画とされているそうで、
赤塚不二夫の頭の中のギャグのセンスがそのまま漫画化したような、常人では理解し難い仕様というか、シュールといったところか。
天才バカボンでは、キャラクター、台詞、構成に至るまで大人を意識しながら意図的にナンセンスを追求していた。
一方、レッツラゴンでは何かを狙ったとすれば、それは作者である赤塚不二夫自身の中で完結するなにかを狙い、読者は作者しか理解出来ない漫画という解釈、つまりは芸術的に言えばシュールということになる。
赤塚不二夫は漫画以外にも芸能界でも異端な活躍をする。
これらのことから、ナンセンスな事、馬鹿なことを本当に真面目に追求したことが分かる。
主体的に人に面白がられるには、人がどの様なことを面白がるのか、今まで何が受け入れられてきたか、などなど分析も必要で、それらを踏まえた上で自ら表現する。
新しい事をするにも、古い物や現状あるものを知らなければ、人間がそれを行う限りどうしても似通ってしまいがちだ。それに勇気も必要であろう。この場合の勇気とは守るというよりか、この身を犠牲にしてでもやりとげるというところにある。
そういったことこそ、本当の革命であって、単なるご一新ではないのだ。
新しいとは何か、面白さとは何かにおいて、赤塚不二夫に天才という言葉が相応しくはないか。
真面目だからこそ、究極に馬鹿なことを天才的に行う事が出来た人である。
そして、今もなお人々にナンセンスというエッセンスを教えてくれる。
赤塚不二夫の代表作として、天才バカボンとレッツラゴンを挙げよう。
まず、天才バカボンについては、特徴あるキャラクターが数多く登場するのだが、
中でもある種悟りを啓いたバカボンのパパ、拳銃を乱射する警官、言葉を話すウナギなどは印象深い。
漫画の作者は狂っているのでは?そんな疑問すら抱く。
次に、レッツラゴンだが関係者によると天才バカボンを唯一超えた漫画とされているそうで、
赤塚不二夫の頭の中のギャグのセンスがそのまま漫画化したような、常人では理解し難い仕様というか、シュールといったところか。
天才バカボンでは、キャラクター、台詞、構成に至るまで大人を意識しながら意図的にナンセンスを追求していた。
一方、レッツラゴンでは何かを狙ったとすれば、それは作者である赤塚不二夫自身の中で完結するなにかを狙い、読者は作者しか理解出来ない漫画という解釈、つまりは芸術的に言えばシュールということになる。
赤塚不二夫は漫画以外にも芸能界でも異端な活躍をする。
これらのことから、ナンセンスな事、馬鹿なことを本当に真面目に追求したことが分かる。
主体的に人に面白がられるには、人がどの様なことを面白がるのか、今まで何が受け入れられてきたか、などなど分析も必要で、それらを踏まえた上で自ら表現する。
新しい事をするにも、古い物や現状あるものを知らなければ、人間がそれを行う限りどうしても似通ってしまいがちだ。それに勇気も必要であろう。この場合の勇気とは守るというよりか、この身を犠牲にしてでもやりとげるというところにある。
そういったことこそ、本当の革命であって、単なるご一新ではないのだ。
新しいとは何か、面白さとは何かにおいて、赤塚不二夫に天才という言葉が相応しくはないか。
真面目だからこそ、究極に馬鹿なことを天才的に行う事が出来た人である。
そして、今もなお人々にナンセンスというエッセンスを教えてくれる。
