今大会は参加人数こそ少ないものの、昨年度の上位ランカーが名を連ね、誰が優勝するかわからない混沌とした様相を呈していた。


 昨年度ランキング1位の実広をはじめ、3位の坂井、5位の晄、7位の菊地、9位の松田と10位以内の半数が参戦。そこに昨年近畿で初優勝し、一躍トッププレーヤーの仲間入りを果たした11位の池田、参戦数こそ少ないものの、京都オープンで優勝した吉野、往年の名選手川崎といったところがどういった展開を見せるかといったところが見所。スコア的には -4 ~ -5 といったところがトップか?


(1R)

 金曜日とは打って変わって天候は快晴。風が吹くとやや肌寒いものの、フリースなどがなくても十分に暖かく感じれる。

 午前中はほとんど風の影響もなく、気持ちよく投げれるコースは選手に上々の評判。そんな中飛び出したのは吉野、予想を上回る 47 (-7)、1打差に松田で 48 (-6) 。他の選手は 51~55でだんご状態。ほぼ予想通りの選手が上位に名を連ねた。

 吉野・松田共にボギーは1つと他の選手を圧倒、バーディー数においてもそれぞれ8、7と圧倒的な数である。池田も7バーディーとバーディー数では負けていないがダボがあったり、ボギーをたたいたりと安定感にかけた。他の選手では菊地が5、それ以外の上位選手は4といった状況である。


 1R目、特筆すべきはマスター選手たちの活躍である。本来マスターでエントリーできるにも関わらず、オープン部門に挑戦してきた、川崎・ワンダー高山の両選手。若手にまけじと5位タイの 53 (-1) であがってきたのである。川崎にいたっては途中まで-3ペースでラウンドしており、技術レベルと経験の高さを見せ付けた。


(2R)

 午前中よりもやや風が強く感じられるが、気温も上がり、とても心地よい。一般の来園者も目立ち始め中断してしまうことも増える。そんな中、1R 47(-7)で好発進した吉野が乱れ64(+10)の大たたき。同じコースで17打も悪くなってしまう。1番でパーティー内唯一のバーディーをとって好発進するも、2ホール目で池のOBにつかまってしまい、3投目のアプローチも再度池に入れてしまい痛恨のトリプルボギー。松田パー、菊地バーディーと早くも逆転を許してしまう。その後、攻めた結果か精神的なダメージからかバーディーをひとつも奪えず9番円形広場越えのホールでまたの痛恨のダブルボギー、この時点でトップとは決勝のひとつのボーダーである6打差。これ以上はなされるわけにはいかないと意気込んだのか、続く10番ホールから12番ホールまで3連続ボギーをたたいてしまいジ・エンド。結局最後までバーディーを奪えずに前半32、後半32の64でホールアウトとなった。菊地も2番でバーディーを奪い、前半をアンダーで折り返すも、11番と魔の15番でボギーをたたき、17番でバーディーを沈めイーブンで乗り切った。

他の選手も同様にスコアを悪くする中、池田が49(-5)とスコアを伸ばす、晄も50(-4)とスコアを伸ばし上位に躍り出る。結局、初日トップに立ったのは2Rも52(-2)をキープした松田。 後半に3連続ボギーなどがあったが、5バーディーで十分なおつりがきた。
 しかし2位池田とは1打差、3位晄・菊地とも5打差とまだ油断できない状況

結果だけを見れば、この2Rのスコアが勝敗を分けたといってもいいくらい、明暗が分かれたラウンドである。

 トップグループでラウンドした、3名が同じコースであるにも関わらずスコアを悪くしたことでもわかるように、午前中とは明らかに風の状況が違い難易度が上がっている。そんな中スコアを伸ばしてきた池田・晄がえらかったとしかいいようがない。また一緒ラウンドしている2名が苦しむ中、1人アンダーで回ってきた松田の精神力が上回った。。


(3R)

 昨日の快晴がうそのように、朝から雨・雨・雨の最悪のコンディション。そうでなくても金曜日に降った雨の影響で滑りやすいティーなのに、この雨でさらにスリッピーになってしまっている。

 トップグループは松田・池田・晄、それを菊地・実広・坂井の辰巳3人衆が追う展開。雨というよくないコンディションがどのような影響を及ぼすのか?逃げ切りを図りたい松田。このラウンドで逆転しておきたい池田。トップとの差を少しでも縮めておきたい晄・菊地。同スコアながら昨年度ランキングの影響でトップグループにあがった晄と2ndグループに下がった菊地。影響がでるか?

 トップグループスタートホール。1番ホールで松田・晄が改心のショットでバーディーチャンスにつける。松田が10mのパットを沈めてバーディー発進、晄は7mのパットをはずしてパー。2番ホール松田のショットはきれいなストレートラインながらもやや右に流れてブラインドからのパット。池田のショットは風にあおられてターンオーバーし、大きく左へ流れてしまった。建物の影で、バスケット手前の木もあり、非常に難しいアプローチを強いられる。晄のティーショットは完璧なラインでバスケット横2mにつける。この状況で池田はやや強めのアンハイザー。オーバーすると思われたショットはバスケット手前の木の枝にあたり3mのところに落ちた。運も味方につけている。松田はブラインドからの短いパットをはずしてパー。晄はパットを難なく沈めてバーディーこの後もコンスタントにスコアを重ねて9番ホール終了時点で松田-2、池田-2、晄-3と晄が1打詰め寄った。このあたりから雨脚が強くなり始め、気温も下がり始めた。まず最初にミスをしたのは晄。11番ホールでバーディーパットをはずし、7mの返しを残す大失態。返しをミスってボギー。池田も3mの絶好のバーディーチャンスにつけるが、ブッシュの中からのパットとなり、あえなく右にはずしてパー。ともあれこのホールでラウンドスコアは3人が並んだ。次にミスをしたのは池田。

12番ホール、レフティーならではの左からのビッグハイザーで狙うもディスクに勢いがなく、休憩所の屋根にのってしまいOB、休憩所の真裏からのアプローチとなるがうまく寄せきれずに8mほどのパットを残してしまう。これを沈めてボギーで抑えた。晄は5mのバーディーチャンスにつけるものの目の前の枝が邪魔をして高さをとれず、パットミスをしてパー。池田がこのホールで1打後退した。続く13番でもアプローチを奥につけてしまい、痛恨の連続ボギー。松田・晄共にパーで切り抜け、晄にも2打差に迫られた。ここでさらに雨脚は強くなる。14番は全員がパーで切り抜け、魔の15番を迎える。まずは松田。ティーショットの際に足をすべらせてんぷらショット、ディスクは大きく左に曲がりパーセーブは難しいところ。続く晄、すべることに慎重になりすぎたのか、腕が振り切れずにすっぽぬけたような格好で一番手前の木に当てる、池田のショットも途中の木にあたってしまい左にキックしてしまう。晄のセカンドは足場が悪かったせいもあり、コース途中で失速。池田のセカンドも投げるスペースを見つけられずボギー狙いのライン。松田のディスクは結局左の林に突っ込んでしまいパーはもはや断念せざるを得ない。結局池田・晄はその後もアプローチを失敗し、痛恨のダブルボギーをたたく。松田もボギーをたたいてしまうが、この時点で松田が完全に頭ひとつ抜け出した格好になった。
続く16番では、松田が10の非常に難しいパットを決めバーディー。そのまま乗り切り-2で回った。晄はここでもミスをしついにオーバーになってしまう。池田は17番でバーディーを奪うも後半のミスが多く結局池田・晄共に+1でのフィニッシュとなった。  2ndグループでは3位タイの菊地が2ホール目となる5番そして6番で連続バーディーを決め勢いに乗る。しかし11番で痛恨のボギーをたたいてしまう。さらに魔の15番でもダブルボギー、続く16番でもボギーとし2オーバーとなってしまう。17番ではバーディーをとったものの、1番ホールでまさかのトリプルボギー。さらに2番ホールでもOBを出してしまい、結局+4でホールアウト。5位の実広は波乱万丈のゴルフながらもイーブンでまとめ単独4位に躍り出た。


関西オープンが近づいてきた

ある意味今年初投げ・・・


今回はごうっちにコースレイアウトを依頼

たまには人の作る希望が丘ってのを堪能したい


昨年後半は徐々にパットの感覚も戻ってきて

イップスは克服したように思う


まぁ今年の課題は

■ティーショットの安定性

■イップスを出さない

■無理はしない


の3点やね


まぁまずは今年最初の公式戦

スタッフや理事会やらでかなり大変やけど

ゆっくりとストレッチのつもりで行きますか


日曜日の夜には大会結果も公開予定

URL http://www.logiq.co.jp/JPDGA/2006/kansaiopen/2006kansai.htm

1986年 5月

自分がフリスビーを始めて2週間、初めて大会に出場した。わずか2週間で何ができるって話だが・・・

「西日本フライングディスク選手権」

出場したのはディスタンス・MTA・アキュラシー

と、まぁありきたりのセット


結果も大したことなく35mと5秒くらい?

アキュラシーも2本とかそんなの


それでも回りは大学生や社会人しかいなくて

高校生は自分と一緒に行った同級生の2人だけ


当時高校生は非常に珍しく、好奇の目で見られたのを覚えている。


とにかくいきなりであっても大会に出場できるということがすごくうれしかった

もともと空手をやってたころは地区の予選があって、さらに代表選考会があってと

かなり門は狭かった。

やり始めて2週間で大会に出場できるなんてある意味夢のようだった。


それからは狂ったように投げまくり(笑)


毎日放課後になるとクラブ活動でディスクを握ってた

本当に毎日。

2時間程度の練習だけど内容が非常に濃い。

キャッチアンドスローから始まってMTA、ディスタンス、アルテと、とにかく投げる回数がディスクゴルフの練習とは比べ物にならないくらい投げる。


そうこうしているうちに

なんだか投げれるようになってきた


当然飛ばしたいからワンスピンなんかもまねてみた

最初はぎこちないんだけどやってみると形にはなってきた

試しにクラブの時にやってみたら怒られたけどね

「まだ早い」って


で、5月

フリスビー初めて2ヶ月くらい

初めて自分のディスクを手に入れたファーストバック

当時からMTA が大好きだった自分にとってはうれしくて仕方がない

初めて手にした自分のディスク

うれしくてうれしくてそれこそ毎日投げまくった


そして6月

かの男が世界チャンピオンになった

しかもディスタンスという、ともすればパワーだけと思われる種目でNo1になった

これを快挙といわずして何という?

当然生徒であった自分もその影響を多大に受けることになる

特に影響を受けたのはその円盤理論

「フリスビーってのはとにかく回転を与えることが第一」

回転のついていないスローは最後にやっぱりへなちょこになる


これは今でも通用する最も基礎と思える理論


これが根底にあって初めていろんな技術やスローが

生まれるのだ

大島 寛という選手を知っている人は今どれくらいいるだろう?

日本のフリスビーシーンを大きく変えた人物であり、衝撃を与えた選手だ。

1986年夏、ディスタンスという、日本人では到底外国人に勝てないと思われた種目において世界チャンピオンになった男である。


当時はまだフリスビーが全盛の時代で、国際大会においてもフリスビー以外のディスクの使用は認められていなかった。今の時代に「フリスビー」の特性を語れる人間が何人残っているのだろうか?


そんな男が学校の教師であり、突然目の前に現れて語りだす。

「フリスビーとは・・・」


ちなみに彼はわがクラスの柔道の担当教師で、最初の授業が柔道場ではなく教室でのフリスビー講座とあいなった。当然興味を持った生徒たちが何人か放課後に話を聞きに訪れた。

自分もそのうちの一人ではあったのだけれど他の生徒と少し違ったのはフリスビーに興味があったからではなく、「他のスポーツでも興味があるものにはどんどんトライする」と彼が言い放ったからで、自分は空手部を作ってほしかったのだ・・・中学まで10年以上も町道場に通い、全国大会にも出場し、高校も空手部と思っていた自分にとって空手部のない学校などとも思ったのだけれど、そこは親もいることだしってことで・・・


で、話を聞きに行ってみたらなんのことはない、そのままフリスビー持たされて気づいたら入部してた・・・

始まりとかきっかけなんてこんなもんだ・・・


ま、この辺の話は知っている人も結構多い。


でも実際に彼から教わった技術ってのはほとんどない。

グリップにしても、スイングにしてもテイクバックにしてもすべて彼を見て盗んだり、応用したり、最終的には自分の形が出来上がった。

今の自分のスタイルに大島寛の影はない。昔はよく「似ている」といわれたが、ディスクゴルフを専門的に始めてから自分のスタイルがどんどん変わっていった。よりブラッシュアップされたといった表現が的確かも知れない。


このブログでは、こういった昔話や、現在のディスクの特性なんかを織り交ぜて

技術解説とその練習方法、実際の試合での話なんかを徐々に書いていきたい