花子さん 出現地 [全国各地]
都市伝説や怪談話として有名な「トイレの花子さん」。
話の性質上、花子さんは妖怪というよりも幽霊に近い存在と言えるかもしれない。
しかし、広く日本の妖(あやかし)という意味において、口裂け女同様我々の中に浸透しているのも事実だ。
そこで今回は、未確認生物UMA(かもしれない)花子さんを取り上げてみたいと思う。
まず、トイレの花子さんとはどんな話なのか。
「誰もいないはずの学校のトイレで、ある決められた手順を踏んだ後花子さんに呼び掛けると返事が返ってきて・・・」
これがおおよそベースとなっている話ではないだろうか。
おかっぱ頭、白いシャツに赤い吊りスカートという花子さんの容姿についてはほぼ全国共通だが、彼女を呼び出す手順や登場後の行動パターンは地方によって様々なバリエーションが存在する。
設定として秀逸なのは兵庫県の話で、
「1番目の個室には花子さんの父、2番目には母、4番目は妹、5番目に弟、男子トイレの2番目に祖父がおり、これらを呼ぶと『うちの花子に何か用か?』と聞かれる。
他にも花男、小花子という名の親戚もおり、これら親戚筋を含めた一族が毎年群馬県で集会を開き、その年の方針を決めている。
ボーイフレンドに太郎というお化けがいて、深夜の学校の体育館でバスケットボールをしている。」
という物。
このトイレは花子さんファミリーで満員、生徒が入るスキなどない。
それどころかお祖父さんは男子トイレに追いやられ、「別にいなくてもいいのでは?」という気さえする。
さらには親戚の存在、兵庫県の話なのに何故か群馬県で開かれる集会、そこで話し合われる方針とは一体・・・。
おませさんな事にボーイフレンドまでいて、兵庫の花子さんはゴーストライフをエンジョイしているようである。
では、トイレの花子さんという話の出どころ、ルーツはどの辺りにあるのだろうか。
これには諸説ある。
まず、厠神(かわやがみ)や加牟波理入道(かんぱりにゅうどう)といった所謂「トイレの神様」の信仰が挙げられる。
江戸時代から昭和初期にかけて、トイレに人形や花を供える事でそこに住む神様を祀るという風習が盛んに行われていた。
この時の人形が赤や白の服を着ていた事、名前が「花子」である事から、この風習が花子さんのルーツであるとする説だ。
また、古来より日本では物には魂が宿ると考えられており、トイレに供えられた人形に魂が宿り妖怪化した、と考えられなくもない。
次に、実際の事件がルーツだとする説。
岩手県遠野市一家無理心中事件(昭和12年)、文京区少2女児殺害事件(昭和29年)という二つの事件がそれで、大変痛ましく悲しい事件であるが故これらの詳細について触れるのは避けるが、いずれも「学校」「トイレ」「女の子」などトイレの花子さんを連想させる言葉が出てくる。
事件後、少女の幽霊が目撃されるようになったそうだ。
そしてもうひとつ、「長谷川花子」という実在した少女の話であるという説。
この少女、1879年(明治29年)生まれという事だが、一体どこの生まれで、どういった経緯でトイレの花子さんに結びついていったのかは不明である。
人物像についても取るに足らない物ばかりで、本当に実在したのかは疑わしい。
しかし、下らないと思える噂話の中に我々の知らない真実が埋もれている可能性も否定出来ない。
個人的には掘り下げてみたい説だ。
このように、花子さんについては様々な説が飛び交い、どれが真実なのか特定する事は非常に難しい。
また、舞台が学校であるため、大人になってしまった私が彼女の存在を直接調査する機会はほぼ無い。
あるとすれば、結婚して子供を作り、その子を小学生まで育て上げたのち父兄参観に出席、我が子の活躍そっちのけでトイレに赴き花子さんを呼ぶ儀式を行う。これしかない。
だが人として父として恐らくそんな事は出来ないだろう。
真実は謎のままだ。
しかし、それでよいのだ。
日本古来のUMA『妖怪』に纏わる話の数々も始まりは単なる噂話であったかもしれない。
語り継がれる悠久の時の中で噂話が伝説にまで昇華され、妖怪達は「生命」を得た。
私は花子さんも既にこの域にあると思っている。
こうして語り継ぐ事によって100年後も200年後も花子さんは生き続けるだろう。
我々ひとりひとりが伝説の紡ぎ手なのだ。
記者 牧田龍彦