No.5 予讃線事件
1949年5月9日午前4時23分、
香川県高松市の
高松桟橋駅を出発して
宇和島駅に向かっていた
予讃線準急第一旅客列車が、
愛媛県温泉郡難波村にある
浅海駅付近にある
北条町難波大浦の切通しカーブに
時速約55kmで差しかかったところ、
機関車が転覆した。
その直後、
およそ40m突進し続けた列車は、
右方の丘に激突した後
120度急旋回し高さ8mの崖に
乗り出して停止した。
さらに炭水車と2両の客車が続いて
L字型に脱線し、
機関助士ら3名が胴体切断及び
全身火傷で死亡したが、
別の機関士1名は自力で
這い出し奇跡的に生還する。
【現場検証】
継ぎ目板2カ所4枚、
ボルト8本、
犬釘7本が故意に抜き取られており、
レールが75ミリずらされていた。
現場付近に残されていたバール 、
スパナにはローマ字の刻印があり、
明らかに国鉄で使っていたもの
ではないことが判明した。
しかしその手口が高度なこともあり、
犯人は単独犯ではなく
5 - 6人の犯行と見られたため、
列車転覆致死傷罪で捜査したが、
3ヶ月後に発生した
同じく列車転覆致死傷事件である
松川事件と同様に
事件の真相が判明せず未解決事件となった。
1964年5月9日に
列車転覆致死罪とした場合の
公訴時効が成立した。
【不可解な点】
・事件現場において
事件発生推定時刻の10分ほど前に
通過するはずだった貨物車両が、
なぜかその直前の位置で
急に引き込み線に入って
事件現場を避けていた。
よって、
事件現場には約40分間にも
渡る空白ができていたということになる。
・事件現場に
残されていた線路の枕木に、
なぜか米軍の軍靴の跡が付着していた。
・なお、
事件後に最も疑いのかかった容疑者が
留置所で服毒自殺したので、
さらに事件の捜査が難航する原因となった。