恩返ししたこと

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おはようございます〜〜ビックリマークビックリマークビックリマーク

5月12日

ふんわりリボン母の日ふんわりリボン

の、日曜日です。

気温9°C、お天気は雨。

雨のマンハッタンもシブくて好きです。

 

 

 

 

 

今日が母の日、と気づいたのは

今朝起きて小カロのこのメッセージを

見つけたから下矢印

 

 
 
 
 
小カロが日本に発ったのは
4月30日の夜←フライト時刻は
明けて5月1日の1時20分やったけどねピンク音符

小カロをJFK空港に送ってって

LIRRでマンハッタンに戻って帰宅。

ベッドルームのドアを開けると

きれいに整頓されていて

小カロの仕事机の上に

ママへ、って書いた物を発見ひらめき

 

 

 

 

小カロをJFK空港に送って行った日の夜に

交わした小カロとのやりとり下矢印

JFK空港から
帰宅する時刻が深夜やったから
私を心配して
地下鉄を使わずLIRRで帰宅して
って、言うた小カロ。
せやから
もう帰宅したよ、という報告と一緒に
ベッドルームを片付けておいてくれた事への
感謝とカードを見つけたよ、の
報告。
 
 
 
 
発見したカードと
小カロが洋裁レッスンで手作りしたと
いう、バッグ下矢印
image
いっとき
ロングアイランドの友達のとこに行く
って
週に何度も行ってた時期があってんな。
洋裁レッスンやったらしい。
3月から4月にかけての事
やってんけどな。
そん時にこのバッグを母の日の
プレゼントにしよう、と思って
作ってくれてたんやな〜
思ったら
尚更、嬉しかったわ。
 
image
 

バッグの中には私の好きそうな

コットンパンツ下矢印

 
 
 
母の日はアメリカでは
クリスマスと同様くらいの反応です。
バレンタインデーやハロウィーンなんて
母の日の特別感には及びません。
日本はそうじゃないみたいね。
西洋から日本にやってきた慣習である
バレンタインデーやクリスマス
最近ではハロウィーン。
その謂れや特別である事の意味は
別にどうでも良くて
お菓子会社や大手洋菓子会社によって
商業化された事で根付いた
日本独自の文化になったがために
バレンタインデーやクリスマス
ハロウィーンは大規模祭り状態に
なったんやと思うんです。
母の日は花屋?
カーネーションやから?
商業的にデカくない…が理由かな
と思います。
親孝行や年上を敬うといった
儒教思考が根付くアジアの中でも
日本だけは割とお母さんに対する特別感が
薄いと思う。
それに対して
女性の大統領を何人も輩出している
韓国やフィリピンの人たちは
お母さん、に対する特別感が
すごくあるな〜って思う。
ましてや、アメリカ…。
母の日は
顔を合わせば知らない人同士ですら
Happy Mother's Dayと
言い合う文化です。
レストランでは
クリスマスやバレンタインデーばりの
対応。
日曜日が定休日のレストランも
この日ばかりはオープンしています。
 
 
 
 
そんな国に生まれ育った小カロが
母の日を忘れた事は一度もない。
私はね
小カロが私の元に
生まれてきてくれた
それだけで
もう既に
全ての恩返しを
私にしてくれた
と思っています。
 
 
 
 
私自身、親不孝ばかり。
特に
亡父に対しては私が11歳になったある日を
境に
反抗ばかりを繰り返してきました。
私に手をあげる事も多かった亡父。
幼い頃は怖かった。
ある日を境に怖くなくなった。
戦いモード全開ネガティブ
グレてやろうと思わなくもなかったけど
それは
私の中では父に対して負けになる気がして
グレる事はなかった。
高校を卒業したら家を出ようと
ずっと思ってきた。
その通り、家を出た。
その事も医療職に就く事も
ましてやニューヨークで生活する事も
父は大反対やった。
大反対やったからこそ
できたのかもしれへん、とすら思う。
 
 
 
 
そんな、私にはとても厳しかった父は
小カロに対しては
本当に目にいれても痛くない
って
こういうのを言うんやな
って思うほどの可愛がりようやった。
小カロが生まれるのと
ほぼ同時くらいに
父の肝臓癌が見つかる。
小カロが生まれる前に生まれた
長弟の娘は父が名付け親で
それはそれは可愛がっていたのに
彼女が1歳になる頃に
離婚バトルに発展して以来
亡くなるまで会わせてもらえなかった。
それもあってか
父は小カロをとても可愛がった。
その姿を見た時に
それまで抱いてきた父への怒りが
溶けた。
その瞬間に私は私を許した。
すると
すごく楽になった。
 
 
 
 
そして
小カロが成長して大学生になって
物理的に彼女が私から離れた時に
ハッと気づいた事があった。
父は
父は
さみしかったんや、と。
一人娘の私が遠くに去ってしまうのが
さみしかったんやと
ようやく気づいた。
私のことが
かわいくなかったわけじゃなかったんや
と。
 
 
 
 
ちょっと母の日から離れたかも
やねんけどね。
私は母に対しても諦めと怒りしか
なかったからね。
親不孝ばっかりしてきたな、と思うし
それも当然、くらい、思ってた。
せやから
小カロが生まれてきて
自分の子供を持って初めて
親の苦労がわかるやろ?
言う人に対して
「そう?わからんわ〜」言うてた。
いまだにそう思ってるけどねてへぺろ
だって
子育て、楽しかったんやもん。
 
 
 
 
私、むっちゃ頑張ってるやん。
私、えらいやん。
長い事思ってきたけど
そう思うためには
いつも自分に対して
何かを証明しないといけない自分がいた。
それは
しんどい事やったと思う。
一人で異国に来て
誰のサポートももらわずに
学校に行き2つの仕事を掛け持ちし
誰にも褒められず
勉強し独り立ちするために頑張った。
子供を授かり
シングルマザーになっても
サポートもなかったし
褒めても貰えない。
その事そのものよりしんどかったのは
そんな事の全てを
自分が自分に対して
すごいやん、私、を証明する為に
やってた事やと思う。
 
 
 
 
小カロが私の元に生まれてきてくれた
それだけで
小カロは全ての親孝行を終えて
恩返しも終えた、って思った時に
私は
私もかつては私の両親の子供やったんやん。
私も
小カロと同じやん
って
気づいたら、泣けた。
私も、生まれてきて親孝行したんやん
思ったら、泣けた。
これまで頑張ってきた自分に泣けた。
 
 
 
 
母の日を忘れた事のない小カロに
ありがとう、と思う
母の日でありました。
 
 
 
 
ちょっとお涙頂戴記事みたいになって
から
オチがそれ?って言われそうなんやが
・・・
今朝、パーティー・ブログはお休みして
母の日にちなんだブログにしよう
と思って
Amebroさん、何か、母の日に関する
投稿ネタあるんやろか?
思ってな投稿ネタページ行ってんな…。
そしたらさ
あった、あった〜〜〜
でさ、このネタで書こう思って
これ下矢印クリックしたら〜〜〜!!

表示されるやつがっビックリマークビックリマークビックリマーク

これっ下矢印

🤣🤣🤣

どゆことっ!?

というわけで、今日のタイトルは

#恩返ししたこと、になったんやけど

結果、オーライ、って事で

笑い泣き

 

 

 

 

日本はもう日付が変わって

母の日は終わりましたが

全てのお母さんに

 で、ございます。

 

 

 

 

頂いているコメントのお返事も

ボチボチ進んでいます。

よかったらコメント頂いた過去のブログも

よろしくお願いします。

いつも

お返事が遅くてごめんねお願い

 

 

 

 

今日の一曲は

飯田俊明で

ふたりのしらべ音譜

Jmeになって以来見かけなくなった

こちらの番組下矢印

そう、いわゆる、私名付けるところの

隙間番組やねんけど

好きやったんよね。

このテーマ曲をずっと探してて

ある日

Nat King Coleが歌った『Stardust』の

ピアノ・インスツルメントを

耳にして、あ!これや!って

思ってんけど

よくよく聴いたらやっぱり違う。

番組の名前も分からなくて

検索して見つけて

さらに検索して見つけた下矢印

この曲を作曲した方が

飯田俊明さんと知り

今日の一曲にたどり着きました。

そうです

私と小カロの『ふたりの時間』も

そんなに長くはない、と

思う、母の日でした。

 

 

 

 

今日もみなさんとの出会いに感謝。

いつもお読み頂いてありがとうペコリ

更に、いいね、もありがとうございます。

 

 

 

 

人生は素敵まじかるクラウン