そもそも瞑想とはなんでしょうか。

 

 

 

 

僕自身始めるまで名前しか知らず、

 

 

 

 

「何か宗教的儀式の特別なことをやるのだろう」

 

 

 

 

と思っておりました。

 

 

 

 

僕が瞑想の存在を知ったのは仕事やそれまでの人生であまりに精神的に疲弊してしまい、

 

 

 

「なにか苦しみから逃れる方法はないか」

 

 

とネット上で何気なく検索していたところ、お釈迦様の人生について記載されたサイトを見つけました。

 

 

 

そのサイトにはお釈迦様がどのような人でどのようなことをしたのかということがおおまかに書かれており

 

 

お釈迦様が説かれた八正道という正しき行動の規範の一つに

 

 

「正しき禅定」

 

 

という項目があったため、目に留まりました。

 

 

他の項目に関しては「なーんだ、そんなことか、結局綺麗事じゃないか」

 

 

 

と流せるものでしたが、禅定に関しては全く知らず、そこで瞑想というものを知りました。

 

 

劇的に人生を変えるには何か特別なことが必要だと思ったからです。

 

 

 

かなり脱線してしまいましたが、瞑想とは仏教の八正道でいう「禅定」、また読んで字のごとく

 

 

「目を瞑り、想う」ことであります。

 

 

要するになにをするかというと目を瞑り、何もしないのです。

 

 

頭の中に溢れている思考の嵐を止めてしまうのです。

 

 

頭の中に浮かんでいる思考を止めるためにはただ目を瞑ってじっとしていてもうまくはいかないと思われます。

 

 

頭に何も思考を思い浮かべず、「何もしない」を体現するためには意識を集中させることがとても効果的です。

 

 

なぜ瞑想をすると人生の苦しみが消えるのかというと

 

 

大雑把な例ですが、過去に大きな失敗を犯し、再び同じような失敗を犯しそうな状況に陥ったとします。

 

 

その時、問題は発生しておりませんが、

 

「またやったらどうしようか・・・・」

 

 

「きっとまた失敗するんだろうな・・・・・」

 

 

「今度こそはしっかり成功させてやる!」

 

 

といろいろなことが頭に思い浮かぶことと思われますが、共通しているのは

 

 

「まだ起こっていない現象に対して思い悩んでいる」

 

 

ということです。

 

 

客観的に見ると実際苦しめばいいのは問題が発生してからであって問題発生前は考える必要など全くないのです。

 

 

しかし、ありもしないことをあれこれ考えずにいられないよう人間の脳みそと思考パターンは作られております。

 

 

苦しみが発生するのは「状況」ではなく「頭の中」なのです。

 

 

つまり、事実ではないことを過去の自分の経験からこうじゃないか、いやいやああじゃないかとあれこれ考えて苦しみを生み出しているという現象なのです。

 

 

瞑想とはこの「無駄な苦しむ為の思考」をやめるために行うことでもあります。

 

 

瞑想の効用はこれ一つではありませんが、思考を止めた時のすっきり感は何物にも代えがたい安息感があります。