容姿に関する問題ってけっこう厄介ですよね。

私も案外、振り回されてきたんじゃないかなーと思います。
特に、性別に関する悩みは、たいてい自分の容姿への愛と憎しみの葛藤が主でしたね( ̄▽ ̄)←

私はけっこう昔からナルシストの気があります。
着飾るのが好きで、とにかく頻繁に鏡を見てはニヤニヤする…そんな気持ち悪い子供でした(笑)

なぜこうなったのか考えてみると…
小さい頃、出来の悪かった私が唯一褒められていたのが「外見」だったと記憶していますので、そのせいかもしれません^_^;

人から褒められたことってやっぱりすごく誇らしいし、自分でも自分を褒めてあげたくなるんですよね~

もう今では両親から「昔は可愛かったのに…」と残念がられるような見た目になってしまったわけですが…w
それでも、親以外の他人からは、よく顔を褒められます。
お世辞でも嬉しいんですよ(笑)
皆さん、私が喜ぶ言葉を分かってらっしゃる←

お陰様で鏡が嫌いにならずに済みました。
心から感謝したいものです(^ ^)

勿論、私にもコンプレックスの一つや二つ…いや、もっとあります(笑)
でもそういう所も含めて、自分の姿を愛せるようになったことは、私の精神状態に良い影響を及ぼしたので、まあ良かったんじゃないかと思いますw

セクシャリティについてひどく悩んだ時期も、結局この考えだけは変わりませんでした。
性別違和感に苦しみつつも、やはり自分の今の容貌への愛着が強くって…
いくらか葛藤はしましたが、結果的に「身体を変える」という選択には至りませんでした。あと服装も。

とはいえ、このまま今まで通りに生きていくのもそれはそれで辛い…( ̄▽ ̄)
ということで、私は外見をそのままにする代わりに、意識のほうをちょっと変えることで、心の葛藤から逃れることに成功しました。

「わたしの辞書に性別なんて文字はな~い」

…ざっくり言えばこんな感じw
もうね、心に引っかかるものはすべてスルーすることにしました。

この考え方で何年か生きてみた感じだと、なかなか良い具合に収まったと思います(^ ^)
そりゃあ社会生活の中で多少モヤモヤすることはありますけど、そんなのも少し散歩すれば吹き飛ぶくらいには気楽になりました。
理解されることは少なくても、自分で自分を肯定できれば問題ないような気もしています。
こんな人がいたって良いじゃない!

好きな格好、好きな仕草、好きな言葉、好きな思想…それらは気楽な幸福感と引き換えに、あらゆる障害も残していきます。

けれど、多少の生き辛さがあるからこそ、人生はより面白くなるのかもしれない、とも思えるんですよ(^ ^)

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